ある日、何人かの日本人奥さんが自分の主人のことで世間話しているところを見かけた。奥さんの一人が、主人が毎朝一人で朝食を済ませて出勤すると言ったら、「しっかりした旦那さんでいいね」と、子供のことを褒めているような口調で周りの奥さんが言い合った。マザーコンプレックスを持つ日本人男性の数が多いのも、小さいときから母親から細やかな配慮をされ、成人して結婚したら、妻が母親の役割を引き継ぎ、身の回りの世話をやってくれることが原因ではないかと考えられる。
日本人女性の美徳は、男性優位社会の日本を背景としたものだ。発達した社会は、変遷が遅い。日本女性のこういった良いところも、当分の間は変わらないだろう。日本人女性が女権意識に目覚めるまで、男性の皆さんは、日本人女性に憧れる時間がまだ十分にある。
日本にも、従来の価値観や行動規範に縛られず、新たな生活方式を求める「新人類」が存在するが、ローマは一日にして成らずというように、日本女性の「淑やかさ」も一つの世代を隔たればなくなるものではない。まして、周りの環境がそれを許さないのだ。もしある日、日本で「男女平等」をスローガンとした大規模なデモが勃発し、専業主婦を含む多くの日本女性が仲間を呼び合い、デモに出かけたとしても、たぶん夫が帰宅する前には、デモの列から離れ、夕飯の準備のため家路を急ぐだろう。言い忘れたが、「自分の意見がなく、周りに流されやすい」のも日本人女性の特徴の1つだ。周りの人と群れをなし、安らかで淑やかに、そしてテンポを乱さずに制御可能な範囲内で人生の舵を切る。「柔よく剛を制す」というのはまさにこのことではないだろうか。(編集Yiqi)
「人民網日本語版」2015年3月9日