1937-42年の5年間、八路軍の本部は、ここで、日本との戦いをバックアップしたり、実際に交戦したり、ゲリラ戦を仕掛けたりと、数百回の戦闘を行った。40年、第36代内閣総理大臣をも務めた陸軍大将・阿部信行は日記の中で、「四川盆地に立脚する重慶政府は、日本にとって心配の種ではない。しかし、共産党の力は、中国全土に伸びており、一挙一動が中国の運命に深い影響を与えている…。『東アジアの新秩序』にとって、最大の敵」と書き、共産党の徹底抗戦に気をもんでいた。
同時12歳だったという、肖江河さん(87)は、村の児童団の団長だった。あれから70年経った今、肖さんの孫である肖建廷さんは、八路軍記念館の解説員として、当時に起きたことを世界各地から来る来場者に伝えている。
日本のテレビ会社の記者が中国語で、肖さんに、「70年以上が経ち、中日友好を望んでいるか?」と質問。日本人記者とは知らない肖さんは、落ち着いた表情で、「今はそれほど日本を憎んではいない。戦争は残酷なもの。戦争があれば人が死ぬ。私は日本人が刀で一般人を殺すのを、自分の目で目撃した。その時、私は草の陰に隠れていた。武郷県での戦いで、両国合わせて2400人以上が死んだ。テレビで、日本が歴史を否定するのを見る。今日、日本人記者も来て、真相を世界に伝えてもらいたかった。そうすれば、みんなが歴史を記憶に残すことができる」と語っていた。(編集KN)
「人民網日本語版」2015年8月5日