日本の早稲田大学の名誉教授で、著名な中国学者でもある毛利和子教授はかつて、日本の社会科学にとっての中国研究は「宿命」だと語った。この言葉には深い意味が含まれている。
「宿命」という言葉を用いて日本の中国研究をたとえるということは、中国文化が日本社会に対して大きな影響を与えていることと日本社会が中国文化に対して深く注視していることを極めて鮮やかに描写している。では、日本がこのように中国に関心を持っている理由は何なのか、どうして「宿命」として中国を研究するのか。答えは2つ。まず第一に中日の両国の間には遙か昔から文化交流の関係があり、この1点にがぎって言えば、頻繁に歴史解釈の問題で中国・韓国の国民の怒りを買ってきた日本の現首相である安倍晋三首相も「日本と中国の友好的な交流の歴史は非常に長く、このような古くから続く友好国関係は世界中でも珍しい」と認めている。2000年あまりの中国、日本間の長い付き合いの中で、日本人は古くから知らずしらずのうちに中国文明を自分の文化の一部としてみなしていた。第二に、中国と日本は隣人関係にあり、両国の間には「一衣帯水」という言葉にたとえられるほど、お互いの地理的距離が近く、何が起こったとしても、代々付き合いをしてきた「隣人」に変わりはなく、自然に「宿命」という関係になる。
しかし実際のところ、日本が中国文化を研究する最大の原動力は、自身のニーズによるものである。日本の著名な歴史学者である井上清氏は「古い時代の日本は熱心に中国文化を勉強し、それを導入し、研究していた。唐の時代のものであれば、何でも即座に伝来させる。--これは『日本が唐の時代の文明国家に劣らない』と人にわからせるための目論みである」と語っている。近代に入り、日本はもう中国からは学ばなくなり、『脱亜入欧』をスローガンとして唱え、明治維新後はさらに中国を「悪友」とみなし、軍国主義の道をひた走り、侵略戦争を引き起こした。