頭では“相声”の深みを理解しても、その魅力を演じるとなるとそう容易なことではない。これまで3年間師匠の下で稽古に励んできたが、「なぜあの時あの言葉が出なかった」、「あの表情は不自然だったのではないか」など、今でもステージを終えるたびにいつも後悔や反省が残る。これまで最も印象深かったステージについて、「師匠に連れられ盲人学校で“相声”を披露することがあった。演じ終えると、ある盲目のおじさんがボランティアさんに連れられながら駆け寄り、『日本人でよくここまで中国の“相声”を学んでくれたね。とても嬉しかった。これからも頑張ってほしい』と手をぎゅっと握りしめ話してくれた。その激励の言葉に、自分の努力はきっと意味のあることなんだと思えた」と、目頭を熱くしながら当時の様子を振り返った。
夢は外交官になることだという西田さん。今後は中国の“相声”の伝統的形式をかりつつ、一人でも多くの中国人に日本の文化事象や古今東西を伝え、両国の相互理解、相互交流に自分なりの貢献ができればと思うと目標を語った。(岩崎元地)
「人民網日本語版」2015年11月3日