〇心のよりどころ、故郷はどこに
今年の春節の大型連休中、大阪のにぎやかなデパート街に足を踏み入れると、あちこちで多くの中国人がショッピングをし、人気のレストランに並び、中国語の表示プレートがある大型バスが一台、また一台と到着と出発を繰り返し、中国からのツアー客を送迎していた。大阪の繁華街のとある免税店では大勢訪れる中国人観光客のために中国語ができる販売員が配されており、その中には劉澤瑜さんもいた。
現在、劉さんは大阪での生活も3年目を迎え、大阪産業大学の3年生となっている。普段は学業の他に、免税店で販売員のバイトをしているという。
大阪での生活について尋ねると、劉さんは「適応した」ではなく「慣れた」という言葉を使った。劉さんにとって日本の生活にはやはりとけ込めないという思いがあるからだろう。彼の目から見ても、文化的な違いや言葉の問題から、ほとんどの中国人は中国人同士のみで付き合い、日本人とは一定の距離を保って付き合っているという。
劉さんはもし中国国内の大学であれば、同級生同士で一緒に食事をしたり、遊んだり、お酒を飲んだりして、付き合いを深め、仲の良い友達になれるだろうが、日本では文化的な違いから「親友」を作るのは難しいという。「何人かの日本人学生とそこそこいい付き合いができた場合でも、彼らはその付き合いの度合いに非常に気を使っている。例えば一緒にお酒を飲んで色々と話が盛り上がったとしても、次の日にはまた礼儀正しく挨拶するといった具合だ」と劉さんは語り、日本人同士の付き合いもほとんどが非常にあっさりしているので、彼自身も普段は孤独な生活を送り、定期的に中国人の友達と集まっているという。