2016年3月11日  
 

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日本の不動産バブル崩壊 東京の不動産価格はピーク時の半分に

人民網日本語版 2016年03月11日08:29

筆者が日本で留学していた80年代当時、日本の不動産価格はほぼピークに達していた。留学生にとっては、稼ぎがよく、学業にも支障を来たさないものとして代理で行列に並ぶというアルバイトがあった。不動産購入の窓口の前で夜通し並んだり、フランス産ワインの新商品が市場に出回る前に、専門店に行って並んだりといったものだ。(文:陳言・日本企業<中国>研究院執行院長。環球時報掲載)

代理で並んでいるのに、雇い主が一緒にいることも多かった。多くの不動産は1人につき1軒限定だったからだ。筆者はある部品企業の社長の代理で並んだことがあった。社長の工場は500人以上の規模で、人件費が高く部品は売れないとあって不動産売買でお金を稼ぎ、工場を担保にしていた。一夜並んで2万円(当時のレートでは2000元)の収入があり、普通のアルバイトよりも給与は倍も弾んだ。80平米ほどの家が5000万円から7000万円、日本の一般的なサラリーマンの10年から20年分の純収入に相当していた。当時の統計では、日本全国の不動産価格の平均値は一般的なサラリーマンの6年から7年の収入に相当した。筆者が在籍した大学の教授によると、欧米諸国の不動産購入費は最高でも4年から5年の純収入で、「日本の不動産はバブルで、必ず崩壊する日が来る」と話していたが、日本の不動産価格が下がることはないと多くの人が信じ込んでいた。

不動産が高騰すると、他のすべてのものが安く思えた。当時日本ではワインのコレクションが流行していた。フランスの新しいワインが1本1万円で売られ、数年保存するだけで2万円前後まで値上がりしたため、お金の貯金よりも利回りが良かった。

筆者の横田氏という友人は1990年に外国から戻り、住宅購入の行列に加わった。彼は当時埼玉県に2階建てで100平米超の一軒家を購入した。当時の販売価格で1億円、庭は車一台の他は草花を植えるのも難しい広さだろうか。自宅から最寄の駅から東京都心の大手町まで鉄道で1時間、自宅から駅までは自転車で25分、あるいは奥さんに車で送ってもらう必要があった。


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