1875年創設の東芝は長期にわたって「メイド・イン・ジャパン」の代表とみなされてきた。日本で最初の電球、最初の洗濯機、最初の冷蔵庫はいずれも、東芝の工場で生まれたものである。これと比べれは、日立やパナソニック、ソニーなどの日本のその他の家電大手は後発者にすぎない。だが140年の輝かしい年月は過ぎ、東芝は崩壊の淵に立たされているようだ。経済参考報が伝えた。
推算によると、東芝の純損失は2015年度(2016年3月まで)、過去最高の5500億円に達する。生き残りをはかるため、東芝は、「解体」式のリストラを行い、業績のふるわない家電と本社の社員を大幅に削減する計画だ。すでに人員削減の行われた半導体部門を合わせれば、リストラ対象の社員は1万600人にのぼり、全社員の4分の1に達した。
日本のモンスター企業がこれほどの窮地に追い込まれたことは、悲痛な教訓を与えている。最も根本的な原因は、思い切った改革に踏み切ることができず、転換への対応が適切さを欠き、断ち切るべき斜陽産業を断ち切ることができず、重荷を背負い込んでしまったことにある。
家電業は確かに、東芝に大きな利益をもたらしていた。だが近年は、中韓企業の挟み撃ちに遭い、日本の家電業は衰退を露わにしていた。日立は2008年、7873億円という当時の日本企業の最大の損失記録を作っていた。だが苦境を脱するため、日立はすぐに、損失を出した事業を分離して「膿」を出すことを決断した。
東芝は、日立と同様の問題を抱えていた。だが東芝は、赤字事業を断ち切る勇気を持つことができなかった。テレビや洗濯機、パソコンなどはいずれも市場に大きな影響力を持ち続けていた。収益は日に日に少なくなっていたが、いつかは奇跡が起こるだろうとの期待があった。これらの伝統事業を分離する話はあったが、行動に移されることはなかった。「日本経済新聞」に引用された業界関係者の言葉を借りれば、東芝は「20世紀型の事業構造から脱却するチャンスを失った」のである。