○1987年:ゆとり「第一」世代
2002年、1987年4月2日以降生まれの人々が中学3年に進級した。彼らは第三次「ゆとり教育」対象者第一弾となったため、「ゆとり第一世代」と呼ばれた。
「ゆとり第一世代」+「昭和最終年生まれ」によって、彼らには最もユニークなアイデンティティが与えられると同時に、さまざまなレッテルが貼られた。これによって、ドラマの主人公たちのような自己喪失感が生まれることとなった。もともと、彼らは昭和生まれではあるが、本当の昭和生まれからは軽視され、「ゆとり第一世代」というレッテルが貼られた。後に続く「ゆとり世代」から見ると、「ゆとり第一世代」はやはり嘲笑の対象となった。平成生まれの若者の眼には、「昭和生まれ」は、「活気がない」「腐りはてた」人間に映った。
また、1987年生まれが受けた「ゆとり教育」は、完全版の「ゆとり教育」ではなかった。実施1年目であったことから、多くの地方では新しい「学習指導要綱」を徹底実施できなかった。これにより、彼らは「自分はゆとり教育を受けた」と認識することはなかった。
だが、彼らが大学を卒業するころ、日本は米国サブプライム危機が引き金となって起きたグローバル金融危機の真っただ中にいた。就職情勢は超氷河期を迎えていた。日本では、大卒生の就職市場は完全に買い手市場と化し、「就職なんていとも簡単」という大先輩の言葉とは全く正反対の状況となった。企業の採用者数は大幅に削減し、面接の難易度や選抜基準は大幅に引き上げられた。「気づけばここは『競争社会』だった」という前出のドラマの台詞そのものの世界が、まさに展開していたのだ。
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