先ず、日本語人材の需要に対する供給過多。日本への留学が容易になったことで、普通の一般家庭の子弟でも容易に日本に留学できるようになり、留学が身近な選択肢になったために、ただ日本に留学したというだけでは価値がなくなり、どこに留学したかも問われるようになってきたためであろう。更に、2000年代以降、中国全土の大学に雨後の筍のように500校を超える大学で日本語学科が設置され、毎年大量の日本語人材が輩出されるようになっていることがある。
次に、日本語人材の需要減少と、日本語を学ぶことによる経済的報酬の期待値の低下。グローバル化で世界語と化す英語に比べて、人口が減少し、経済も縮小していく日本でしか使えない日本語人材の市場価値が、大きく減価してきている。20年前ならば、日本は豊かで中国は貧しく、両国の物価差は大きく、留学は困難で、日本語学科のある中国の大学も少なかった。日系企業は競って中国に進出し、社会には日本語を学びさえすれば、優れた待遇の仕事に就けるという共通認識があった。しかし、現在は撤退する企業すら相次ぎ、残った企業も現地化して、日本語ができるという学生よりも、法律や経済、専門技術など、専門知識を有する人材を求めるようになってきている。また、日系企業を見れば分かるように、ただでさえ日本語人材への募集は多くなく、待遇も中国企業や他国の外資企業と比べて相対的に低下してきており、今後上がっていく見込みも薄い。例えば、中国市場の電気製品ではパナソニック・SONY・日立・シャープ・NECなどが、ハイアールや華為や小米などに取って代わられていることからも見て取れる。2017年には華為が日本で、新卒を初任給40万円で募集し、新卒初任給20万円横並びの日本社会にショックを与えたのは記憶に新しい。貧困化し続ける日本と豊かになっていく中国の縮図を見ているようで複雑な心境になる。
更に、AI化の進展。AI翻訳の精度は年々上がり、既に、日本語専攻の学部卒業生のレベルを超え、大学院修了者を凌駕するのも時間の問題であり、同時通訳のワイヤレスイヤホンすら開発されてきている。翻訳精度は、更に加速度を上げて向上していく。4年間、更には大学院も含めた6~7年間をかけて日本語を学ぶというのは益々割に合わなくなってきている。
また、今の大学生は、サークル活動や、インターンシップへの参加、就職活動に加えて、中間試験・期末試験はもとより、日本語能力試験や、日本語専業4級・6級・8級試験、英語4級・6級などの試験、更にはトフル等の語学試験などに加え、大学や学院に様々なイベントやボランティア活動に駆り出されるなど、相当に多忙である。また、中国の大学の科研業績の重視と教学軽視の流れの渦に語学教員も巻き込まれており、教員もゆとりがなくなってきている。このような大学の教育システムも学生の大会離れに関係していると思われる。
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