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「青島に救われた」80歳の日本人が逝去、献体

 2014年03月05日10:45
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青島に献体した大工園次郎さん

 2007年1月、青島市嶗山区沙子口に住む日本人、大工園次郎さん(当時73)は、献体ボランティア同意書を市赤十字会スタッフに手渡した。今月3日早朝、80歳となった大工園さんは病気のため亡くなった。大工園さんの生前の委託にしたがい、青島ベリア国際医療センター外来の劉詔・院長は、青島に献体し、好きだった街に留まるという大工園さんの最後の願いをかなえた。市赤十字会、青島大学医学院が大工園さんの遺体を授かり、教育や科学研究に捧げられる。大工園さんは青島で献体した初めての外国人で、また青島で405人目の献体者となった。青島早報が伝えた。

 

 ■現場:逝去して献体した日本のお年寄り

 3日午前、記者は市赤十字会スタッフと一緒に青島市立病院(東)の青島ベリア国際医療センターを訪れた。外来院長の劉詔氏は大工園さんの委託書を手に、大工園さんの生前の願いに基づき、市赤十字会、青島大学医学院と遺体引き渡し手続きを行う、と語った。「大工園さんは私が最も敬服する患者でした。生前はとても楽観的でした」。劉詔氏は、大工園さんに青島に身寄りがないことを知っており、大工園さんが入院中に記した委託書のなかで、院内スタッフに手術同意書へのサイン代行を委ね、もし亡くなったら、大工園さんが生前に署名した献体同意書に基づき、外来部に対し、赤十字会との献体手続きの連絡を代行するよう望んでいた、と述べた。

 手続きはすみやかに済んだ。大工園さんの遺体は霊安室から出て、スタッフが大工園さんの遺体に三度の礼をした。その後大工園さんの遺体は青島大学医学院解剖教育研究室に移送され、簡単な告別式が営まれた。「大工園さんの遺体は処理を経て、医学教育研究に用いられます」。青島大学医学院解剖教育研究室の劉志才・高級実験師は、数年後、大工園さんの遺体は火葬され、大工園さんの願いにより、遺骨の半分は友人を通じ日本に帰り、のこり半分は青島の海に水葬され、この街に融け合うことになる、と語った。

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