2014年1月13日  
 

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「戦争の記憶」と真摯に向き合う研究者 山口直樹さん (8)

 2014年01月13日13:49
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『在中日本人108人それでも私たちが中国に住む理由』の北京での出版記念会にて

 中国はアメリカの国債をいっぱい買っていて、米国の財布を握っていますね。そうすると二国間ではあまり喧嘩もできませんし、ライバル同士である米中関係が接近せざるを得ない。かつては中国の留学生で一番多いのは韓国、二番目は日本、三番目はアメリカでした。それが今、韓国、アメリカ、日本の順になっています。

 ここから見ても、日本はこの分野での対策が遅れていますし、真剣に考えるべき時期が来ていると思います。北京に研究所を作るには、中国政府の承認が必要ですが、若手研究者を育てるという意味では、中国に研究所を作るメリットは十分あると思います。中国で博士論文を書いた人やネイティブレベルの中国語でアカデミックな研究ができる人を優先的な採用基準にすれば、しっかりとした研究留学をやろうとする人もかなり増えてくるはずです。

 ----- 日本が研究留学の人材を重視していないのは、どういった理由が考えられるでしょうか?
 研究留学の人材というよりも、日本は明治以降、脱亜入欧という思潮が支配的になるなか「中国などをはじめとするアジアの大学には、日本人が学ぶに値する高度なものなどないのだ」という知のオリエンタリズムを内面化させ、今日までその意識をひきづっているというところに大きな問題があるのだろうと思います。

 それに対し明治の頃、日本は欧州にいち早く留学生を送っています。それは驚くほどの早さです。当時、アジアの国々がヨーロッパ諸国に占領されて植民地になってしまい、欧州の文明は凄い、占領されてはいけないという危機意識もあったために、まずは欧州をよく知ろうと、国費で人材を送って勉強させました。そして、ヨーロッパの制度などを学ばせて、日本ですぐに取り入れて実施しています。

 教育社会学者の竹内洋氏が指摘するように当時の多くの帝大教授は、箔をつけるために欧米に留学しました。そして洋行帰りの帝大教授の仕事とは、欧米の文献を日本語に翻訳して紹介することといっても過言ではなかったと思います。竹内好のいう「日本の優等生文化」とはこういう状況をさしていっていたのだと思います。欧米に対しては卑屈になり、アジアに対しては傲慢になってしまう。どちらも対等に接するという態度とは程遠いものですね。

 ところが、現在は、かなり中華文明が復興してきているにもかかわらず、中国が隣国で近すぎる存在な上、明治以降ずっと「脱亜入欧」という考えが支配的であったために、中国に対する優越感が形成され、どこかで中国のことをなかなか冷静に見られない状況が続いています。日本で中国崩壊論や中国脅威論の本が、溢れるように出ているのはそのことを示していると思います。日本人の中国認識は極から極へとすぐにふれてします。だから、中国をきっちり知ろうとする人がなかなか育ちにくいですし、商業的な理由もからんで中国崩壊論でも中国脅威論でもない現代中国論が出てきにくいですね。

 日本の問題は、その意識をどう克服するかということです。それが克服できれば、明治維新の時にヨーロッパに対して行ったのと同じようにいち早く中国に研究のための人材を送るはずです。もし私が日本の指導者であったら、いち早く専門的なことを勉強する人を中国に国費留学生として派遣し、中国に専門の研究所を作るといったような学術政策をとるようにします。そういう形で若手の研究者を育てて、これから中国がどうなるのかということをきっちり研究、分析させます。みんな、20年前、30年前には中国がこうなるとは誰も予測していなかったわけですし、逆にここまで来たら、とにかく早急に何か手を打たないとまずいのではないかと思います。

 後記
 テーマ・企画決め、講演者への交渉、会場手配、一千数百人以上の人への告知、司会や資料の準備・・・約2週間に1回の開催。こんなにも準備や労力のかかる純粋な学術交流会をなぜ後ろ盾も、資金も、会場も持たない一個人がやり続けてこれたのだろうか?

 インタビューをして気付いたのは、山口さんには、物事を深く掘り下げたい、真実を知りたいという研究者として必要な資質が備わっており、内面から湧き上がってくる根源的な知的欲求のおもむくまま、大変なことをいとも簡単に、楽しみながら学術交流会を続けてきたように思えることだ。それは責任や義務とは少し異なるもので、純粋に学術と向き合っているからこそ、生まれてくるエネルギーに突き動かされているようにも見える。

 山口さんは、満州中央試験所の研究を通して、日々「戦争の記憶」と向き合いながら、時に学術交流会で「戦争の記憶」を正面から扱い、「思考停止」しない日中友好を目指している。そして、戦争や原子力が生んだ日本初の怪獣映画「ゴジラ」を原爆の恐ろしさを知らない中国人の若者に伝える出張授業「ゴジラ行脚」を行っている。それぞれが「戦争の記憶」というキーワードを軸にして、一つの大きな円を描くように、リンクしあい、多くの人を巻き込みながら大きな学術のネットワークを築いていっている。一個人の意思がこれだけ多くの人を引き込み、大きな力となっている様を見ていると、やはり学術というものは信念と情熱が必要なのだと再認識させられた。


山口直樹
●出身地 兵庫県
●中国滞在歴 10年
●中国の食べ物で一番好きなもの   トマト鍋
●北京でのお気に入りの場所 北京大学の未名湖、五道口の重慶料理屋、自宅
●中国に住んでいるからこそ、実感する日本への思い 
日本は、日本人が想像する以上に中国から注目されている。日本の中にいると見えなくなることがたくさんあるということは、中国にいて感じることがある。
●中国にあって日本にないもの
大学の中のテレビ局
●中国人に見習うべきところ   
子供や老人にやさしい。親孝行。
●中国(北京)に引かれた理由・中国の魅力
歴史遺産の多さ、19世紀、20世紀、21世紀が共存しているところ。
やはり北京は学問の中心であるというところ。
北京大学と清華大学がとなりあっているのは、ハーバードとMITと似ていて
ボストンをも想起させる。

 プロフィール
 山口直樹(やまぐちなおき)

 東北大学物理学部物理学科卒業後、塾講師や新聞記者を経て東北大学大学院で研究を行う。日本学術振興会特別研究員を経て2003年に中国政府国費留学生として北京大学科学与社会研究中心の博士課程に留学する。専門は科学技術史や科学技術社会論で植民地科学史研究の文脈から満鉄中央試験所の歴史などを研究する。2008年1月に北京の日本人を主体とした日中学術交流のための北京日本人学術交流会を立ち上げ、現在その代表を務める。

「人民網日本語版」2014年1月13日


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