2014年1月13日  
 

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「戦争の記憶」と真摯に向き合う研究者 山口直樹さん

 2014年01月13日13:08
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魯迅博物館にて

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 2008年1月、北京に住む日本人を主体にした日中学術交流のための会「北京大学日本人留学生学術交流会」が誕生した。これが、後に「日中知の公共空間」としての北京日本人学術交流会のはじまりだった。
立ち上げたのは、当時北京大学の博士研究生として留学していた山口直樹さん。それから約6年近い歳月が流れ、北京日本人学術交流会は10月19日に第100回目の記念すべき回を迎えた。これまでに参加した人数はのべ約3000人。

 その間、2011年3月11日の東北大震災が発生したことがきっかけで、原子力問題や戦争といった踏み込んだ内容もあえて正面から扱い、日中サイエンスカフェや日中歴史カフェなど映像を使った実験的な場も作ってきた。

 資金も、後ろ盾も、会場も持っていない個人が主催する純粋な学術交流会がこれほどまで長く継続されてきたのはひとえに代表の山口さんの力と情熱によるところが大きい。山口さんに100回目を迎えた気持ちやこれまでの経緯などを伺った。

 ■6年前、「10回続けばいい」と思われていた学術交流会が今年100回目を迎える
 ----- 山口さんが2008年1月に立ち上げた学術交流会が今年の10月に第100回目を迎えましたが、今はどんな心境ですか?

 北京は人の入れ替わりが激しいこともあり、最初に学術交流会を始めた頃のメンバーは現在もうみんな中国にはいませんが、多分あの頃、100回続くなんて思っている人は誰もいなかったと思います。10回行けばいいほうだと思っている人がほとんどだったと思いますが、いい意味でそれを裏切りたいと思っていました。

  北京の日本人社会で一番顧みられないのは学術です。だいたい、ビジネスが先行して、あとは当然ながら生活情報や社会情報とかが先にたち、学術はいつも後回しにされます。そういう状況を変えないといけないのではという思いから始めたのが2008年1月のことです。

 自分的にはある程度やれたという思いと、まだまだやるべきことが山のようにあるという思いの両方がありますが、とりあえず100回まで続けてこられたのは協力してくれる人が現れ、周りの人に恵まれたからだと思っています。学術交流会には得体のしれない才能を持った人が集まっていて、学術交流会をしていなかったら、出会えなかっただろうというような人もいます。例えば、マルクス主義を研究している人がいたり、エスペラント語を流暢に操るような意外な人が人民網の「集まれ日本人」のインタビュー記事を見て連絡してくれたりしました。

 ----- 学術交流会では原子力や戦争、日中問題などあえて難しい問題も選ばれているようですが、毎回の講演のテーマはどのように決めているのですか?
 学術交流会には、「アカデミックな要素かつ現実に対してどう向き合って行くのか?」というテーマがあります。例えば原子力というテーマは日本社会であれ、中国社会であれ、根幹にあるものです。そういうものを避けて通らずに行くというのが、私のスタンスとしてあります。

 北京にいる学術関係の方は理系の方が少ないのですが、私はもともと物理をやっていたという少し変わった経歴を持っています。理系から文系に変わった人間で、科学技術と社会というのを専門にしている人間からすれば、こうしたテーマをきちんと取り上げなければという思いがあります。
 
 また、中国人がそれに対してどういう反応を示してくれるのかという興味もあります。だから、時には原子力や第五福竜丸など、外から見るとかなり踏み込んだように見えるテーマもあえて扱っています。

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