2014年9月11日  
 

中国の夢健康知恵袋 企画集 日本からニイハオ!

Apple新浪騰訊人民LINE微信RSS
人民網日本語版>>中日フォーカス

<北京のお気に入り> まるで北京の動物園-三里屯南街エリア (3)

人民網日本語版 2014年07月21日15:33

80年代、ある日本人男性と中国人女性が南京で偶然出会い、周囲の猛反対を押し切ってめでたく結婚――。 この二人の間に生まれきたのが土屋さんだ。

南京で生を受け、幼い頃に日本に移った土屋さんは、小さい頃から日中ハーフというだけでなく、日本人と南京人のハーフということで、注目されてきたという。

-- 今まで生きてきて、日本人と南京人のハーフって僕のほかに会ったことないんです。

そして、この日本と南京というマイノリティな組み合わせがその後の土屋さんのアイデンティティ形成に大きな影響を与えた。

ただし、高校までは日本人の典型的なローカルコースを歩んできた。地元の公立幼稚園、小学校、中学校に通い、当然高校も日本で進学するつもりだった。しかし、ちょうどその頃、父親の仕事の都合で、一家で北京に移ることになった。

-- やはり義務教育というのは人間形成に大変大きな影響を与えるようで、中国語を話せるといっても、その時の僕は典型的な日本人でした。和を重んじ、人とぶつかることを避けて自分の意見もあえて言わないような。おそらく、日本での環境や雰囲気から、子供心にもあまり中国色を出さないようにしようと思っていたからかもしれません。通常の日本人以上にマニュアルタイプの日本人だった気がします。

北京では、三里屯から程近い第55中学校内にある国際学校に通った。土屋さんは、ここで大きな洗礼を受けることになる。     

-- 僕が通った国際学校はそれこそ動物園のような所で、生徒たちは好きな時間にお菓子を買いに行ったり、好きな時にご飯を食べたりと、様々な国籍の学生が本能のままに行動・主張してました。まるで無法地帯でしたね。なかなか慣れませんでした。でも、ここで如何に自分の意見を伝え、異なる思考や習慣を持つ者同士がお互いに高めあっていける関係性を築くかということを学びました。

今や流暢な中国語、日本語、英語、北京語、南京語を使い分けて様々な国籍の人々とスムーズにコミュニケーションやビジネスを行う土屋さんの姿からは想像できない言葉だ。

しかし、どんなに言葉がうまくなっても、変わらないものがある。

-- 日本にいた時間と、中国にいた時間だとすでに中国にいた時間のほうが長くなってきました。でも、中国人からはやっぱり中国人として見てもらえない。それは、多分、僕の根底に日本人というナショナリズムがあるからなんです。それは、消したくても消せないし、崩せないものなんです。だから、日本人のナショナリズムで、中国に理解を示したい。普通の日本人ではないけれど、そういう思いが強いです。


【1】【2】【3】【4】【5】【6】

関連記事

関連特集

コメント

最新コメント