69年前、米軍の爆撃によって2人の身内を亡くした小川喜久子さんは、戦争による一家離散という大きな苦しみを味わった。彼女は10年前から毎年、自分の手で作った20個の巾着を、知人を通して見ず知らずの南京の人々に届け、旧日本軍による南京大虐殺で犠牲になった人々の冥福を祈り続けてきた。この、ごく普通の日本の老婦人は、戦争に断固反対する想いと平和を求める気持ちを、自分なりの方法で表現してきた。揚子晩報が伝えた。
〇日本の民衆も被害者だが、最大の被害者は中国の民衆
第二次世界大戦の後半、米軍による爆撃によって数十万人の日本人が命を奪われた。「戦争は多くの人々のかけがえのない命を奪った。幸いにも生き延びた私は、なにか人様のお役に立てることをしなければならない」と語る小川さんは、この30年間、地域の身体障害者のボランティアを務めてきた。身体の不自由な人々に新鮮な空気を吸ってもらおうと、屋外に散歩に連れ出すこともある。
小川さんは、「いつも考えることだが、南京大虐殺で、多くの中国人が犠牲となり、数十万の家族がバラバラになり、肉親を失った。犠牲者の遺族は、その後ずっと、家族を失った深い苦しみや悲しみとともに生きることを余儀なくされている」と語った。