【180度変わった米国の態度】
第二次世界大戦が終わった後、連合国は、東京、横浜、マニラの各地で、戦犯に対する軍事裁判を行った。1948年3月11日、日本人30人が、米軍捕虜に対する生体解剖実験に参与し、不法に彼らの内臓を切除・内臓を試食した罪で、横浜軍事法廷で裁判にかけられた。
米ボルチモア・サン紙の報道によると、容疑者30人のうち23人に罪状が言い渡された。うち5人の罪名は死刑、4人は無期懲役だった。
だが、「1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると、日本を同盟国と認定した米国は、第二次世界大戦中の日本が犯した犯罪に対するスタンスを変えた」と同紙は報じている。
1950年9月、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥は、これら日本人戦犯の罪を減免することを推進した。1958年の時点で、彼らは全員釈放され、死刑囚に対する死刑が執行されたケースは皆無だった。