8月、記者が初めて日本を訪ね、旗に落款を記した団体の一つ、日本「全国印刷出版産業労働組合総連合会」(略して全印総連)を通して杉浦正男さん(102)を探し出した。1956年、杉浦さんは中国に来て旗を寄贈した。惜しいことに杉浦さんの署名は107機の旗にはない。全印総連の責任者は旗への署名者を探すのに力を貸したいと表明した。9月末、記者は再び日本へ向かった。全印総連が存命の2人の署名者を見つけ出したことを知り、全印総連の仲介を経て2人に会った。
定年前、本田さんと矢作さんの2人は日本光陽株式会社の社員だった。当時を思い出し、矢作さんは「当時、中国雑技団が東京に友好公演に来ました。我々の会社は広告看板を印刷する仕事を請け負い、旗に平和への願いと署名を記して中国人の友人に寄贈しました」と話す。本田さんと矢作さんはそれぞれ「中国人の労働者と共に前進」、「平和を守るため、共に努力しよう」とスローガンを書いている。
本田さんは「私は16歳のとき、関東軍として中国の大連に送られました。4年後にソ連(当時)の捕虜になりました」と明かす。続けて「戦後10年に当たる年、大勢の日本人が戦争に対して真摯に反省している。見てください、旗に書いているたくさんのスローガンは全部戦争に反対するものです」と語った。(編集 JK)
「人民網日本語版」2015年10月15日