30年余り前、北京空港から市街地への道路は片側1車線しかなかったが、路上をバス(当時は小型乗用車はほとんどなかった)が馬車よりもはるかに多く走っているのを見て、筆者は内心、社会の発展のスピードの速さにいくらか感嘆したものだった。筆者は当時、ある新聞社に勤めていたが、日本語ができるのを買われ、外国人記者が北京に取材に来る時には、空港に迎えに行くことがあった。日本人記者と言葉を交わすうちに、彼らの注目点が筆者とまるで違うのに気付いた。彼らは口々に、空港への道路の横に日本の家電の広告が目立つことを話題にした。確かにたまにある広告はすべて日本企業のものだったが、日本人記者らはこれを見て筆者よりもはるかに感嘆していたのである。80年代初めの当時、北京人のほとんどはこれらの日本企業の広告を見て、「日本製品を中国人が買えるわけもないのに、広告をこんなに作るなど、なんたる無駄遣いだろうか」と思っていたものだ。(文:陳言。日本企業(中国)研究院執行院長)
だが筆者も成田空港で「ファーウェイ」(華為)の広告を見かけた後は、飛行機を降りる度に、通路やエレベーターの広告を気にするようになった。そうしてみると、中国企業の広告が華為のものだけでなく、まだまだたくさんあることに気付いた。
国際広告は往々にして、現地の国民に見せるためというよりは、自国の国民に見せて一種の誇りを感じさせるためのものなのだろう。30年前、日本人記者が首都空港の道路で日本企業の広告を見た時の気持ちを、私たちもようやくわかるようになった。
筆者はもともと、日本で華為の製品を買おうという気などなかった。だがどういうわけか、成田空港で華為の広告に目を止めてから、日本の家電量販店を訪れるたびに、華為の製品を探すのがくせになってしまった。ある日、一番大きな(家電量販チェーンの)ヨドバシカメラの店舗に入ると、入り口近くの携帯電話のカウンターに華為の携帯電話やタブレットが並んでいるのを見つけた。やはり買う気はなかったが、思わずその前でしばらく立ち止まってしまった。