近年、日本政府は釣魚島(日本名・尖閣諸島)の主権の帰属をめぐる認識において中日間に争いがあることを否認する一方で、釣魚島問題における宣伝を強化し続けている。日本は先日、内閣官房のウェブサイトに資料画像を公開し、釣魚島は日本「固有の領土」だと妄言を吐いた。日本側のぶち上げたいわゆる証拠は、史実に著しく反しているか、中国側の立場を歪曲しているかであり、全くもって自他共に欺くものだ。中日関係に対する悪影響を排除し、中日両国民の友好的感情を強化するために、日本側の誤った見解に反論し、これを正す必要がある。人民日報が伝えた。(文:劉江永・清華大学国際関係研究院教授)
(2)甲午戦争前に日本の密猟者は釣魚島が中国の無人島であることを知っていた
日本側はかつて、古賀辰四郎が1884年に釣魚島(日本名・尖閣諸島)を発見し、人員を派遣して開発したとの嘘をでっち上げた。筆者が暴いた後は、この事を強調しなくなった。だが、最近再び別のいわゆる証拠をぶち上げた。すなわち1893年に井澤弥喜太が「胡馬島」(釣魚島(日本名・尖閣諸島)に行って遭難し、中国沿海まで漂流して救出されたことを、中国側が日本人の釣魚島渡航を気にしていなかったことの証明とするものだ。
だが筆者の把握した第一次資料と日本外務省の文書によると、井澤は熊本県出身で1891年に釣魚島でアホウドリを密猟している。1893年6月、井澤らは琉球南西の八重山から釣魚島(日本名・尖閣諸島)へ米を運ぶべく向かったが、暴風に遭って中国の浙江省平陽県まで漂流した。救出された後、福州へ向かう途中で再度遭難し、中国福建省の地方官に保護されたうえ、上海まで護送され、在上海日本領事館に引き渡された。問題は、井澤ら救出された日本人が福建省省地方官に真実を話さず、故郷の九州から八重山へ石炭を運ぶ途中に遭難し、「胡馬島」(日本側は黄尾嶼の島名を「久場島」と改竄した)まで漂流したと嘘を言ったことだ。だが井澤らは上海到着後、林権助・日本総領事代理に、八重山から「胡馬島」(実際には釣魚島)へ行った事実を報告した。
注意に値するのは、井澤が当時なぜ中国の地方官を騙す必要があったのかだ。答えは1つしかない。彼らは密猟に行く無人島が中国の島嶼であることを明確に認識しており、事実が明らかになって中国側の追及を受けることを懸念していたからだ。当時の中国地方官は井澤が釣魚島へ密猟に行ったことを知らなかったため、慣例に基づき救助し、帰国を手助けした。沿海の中国人の善行が、なぜ釣魚島が日本のものである「証拠」になるのか?