2011年ニュージーランドのカンタベリー地震が起きた際に、クライストチャーチの再編と再建のシンボルとして建設された「紙管の大聖堂」 撮影:Stephen Goodenough |
■11歳で建築家の夢を抱く
「私はいつでも安くて、現地で手に入るリサイクル可能な素材に興味を持っている」。
坂氏の子供時代、クラシック音楽が好きな父親は我が子に将来音楽家になってほしいと思っていたのかもしれない。坂氏は、小学校の頃からバイオリンを習わされていた。しかし、坂氏が心ひかれたのは伝統的な大工の仕事だった。大工の道具や仕事、木の匂いまでも好きだった。いつも、建築現場で出てくる木片を拾って、模型を作ったりしていた。このため、腕の立つ大工になりたいというのが、坂氏の幼い頃の理想だった。
11歳の頃、学校の先生が生徒たちに簡単な家を設計する課題を出した。その結果、坂氏の作品は最優秀賞を受賞し、学校で展示された。そのときから、建築家になりたいという夢が坂氏の心に芽生えた。
坂氏は東京芸術大学建築学科を受験することに決めた。高校3年の頃から美大の予備校の夜間部に通い始めた。そこで、紙や木材、竹を使って建築の模型を作ることを学んだ。この後、南カリフォルニア建築学院とクーパーユニオンで建築を学ぶ。1985年、坂氏は何の仕事の経験もない状況で、東京に行き個人の建築設計事務所を開く。そして、その事業を東京だけでなく、ニューヨークやパリにまで拡大させる。坂氏の作品は非常に小さな住宅建築から、実験的な住宅やコミュニティ、博物館、展覧館、コンベンションセンター、音楽ホール、オフィスビルまで多岐にわたっている。
建築設計事務所・方体空間工作室を立ち上げた建築家・王昀氏は取材に答え、「坂茂氏の建築設計の個性は突出している」と語った。かつて王氏が東京に留学していた頃、国外留学から帰国し、東京で事務所を開いていた坂氏は王氏が住む家の近所にコンクリートの家を建てたことがあったという。「その時代の日本建築は、ポストモダンが隆盛だったが、坂氏の設計した建築にはあまりポストモダンの特徴が見られなかった」と王昀氏。この後、坂氏が紙管を使って設計した美術館に触れた王氏は、「この建築は私に深い印象を残した」と語った。
坂氏が設計する建築では、紙管が重要な要素となっている。1985年頃から坂氏は紙管を構造とする建築を開発すると同時に、それを使った一連の実験的な建築物を作っている。このほかにも、「PCパイルの家」「ダブルルーフの家」「家具の家」「カーテンウォールの家」「2/5 HOUSE」「壁のない家」「はだかの家」などを設計している。
このような建築は通常「耐久性が良い」、「環境にやさしい設計」と称賛されるが、坂茂氏はこれについて、「30年前にこのような設計スタイルを採るようになった頃、だれも環境について語る人はいなかった。これらを使用するのはごく当たり前のことだと思っている。私はいつでも安くて、現地で手に入るリサイクル可能な素材に興味を持っている」と答えている。