2014年3月28日  
 

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坂茂氏が「建築界のノーベル賞」を受賞した理由 (3)

 2014年03月28日17:53
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 ■高い質の建築設計による人道的な取り組みは、世界の見本

 坂氏の建築設計はダイレクトでいて誠実。しかし、決して平凡ではない。どの作品も新鮮なインスピレーションが体現されている。作品の優雅さ、シンプルさ、軽快さは坂氏の建築への情熱や長年の仕事の経験の上に築かれてきたものだ。極めて重要なのは、坂氏の建築物の中に存在する人に対する敬意だ。自然災害の被災者であろうと、個人であろうと、公共の場の公衆であろうと、この敬意は坂氏が心を配って設計する仕事のスタイル、合理的なレイアウト、念入りに選んだ素材、豊かな空間にすべて現れている。

 プリツカー建築賞の審査委員会の目には、坂氏は世界の見本となる模範的な建築家として映っている。これも、坂氏の非常に強い社会への責任感と高い質の設計による社会的需要を満足させる積極的な活動、そして人道的な取り組みに独自のスタイルを活用してきたことによる。

 坂氏の人道的な活動は1994年に始まった。当時、ルワンダの内戦によって200万の難民が住む地を追われ悲惨な環境下で暮らしていたことを知った坂氏は、ジュネーブの国連難民高等弁務官事務所に乗り込み、紙管を構造とした難民シェルターを作ることを提案したところ、すぐに提案が採用され、顧問に招聘されることになった。1995年、神戸の阪神大震災が起こった際、これ以前に日本へ逃れてきていたベトナム難民が政府が提供する仮説住宅に入れなかったため、ビール用ケースに土嚢(どのう)を詰めたベトナム難民用の仮説住宅を作った。

 このことがきっかけで、NGOボランティア・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)が設立され、これ以降の災害救済活動でこの建築スタイルが用いられるようになった。VANは2008年の四川省の汶川大地震発生後に小学校の仮設校舎を建設したほか、2010年のハイチ大地震でも仮説住宅を建設している。2011年の東日本大震災では、VANは50カ所以上の避難所で1800ユニットもの紙による簡易間仕切りを作り、被災者の家族たちのプライバシー確保に貢献した。また、宮城県の女川町にもコンテナ仮説住宅を建設している。これらの努力によって、避難所での被災者の生活の質は大きく改善された。2011年、ニュージーランドで起きたカンタベリー地震では、坂氏はクライストチャーチの再編と再建のシンボルとして、紙管を使った大聖堂を完成させた。プリツカー建築賞の審査員委員会は次のように坂氏を讃えている。「坂茂氏は、傑出した設計を通して、難しい仕事に取り組み、それを成功させ、建築家が政府や公共機構、ボランティアと被災者との間の対話の架け橋になれるという証を示してきた」。

 これに対し、王氏も深く同意し、「坂茂氏の建築設計は紙を用いて思考している。これは、素材の問題だけでなく、環境保護やリサイクルの問題にも対応するものだ。坂茂氏は早くからエネルギーや社会上の役割を考えた建築を実践している。エコロジーや環境保護と同時に、建築の意義についても注意を払っている。おそらく、坂茂氏は建築家として建築の本体性を追求することから、建築が持つ社会的責任や意義を追求する方向へと移行したのだと思う。個人的には、建築の社会性というものが将来より一層注目されていくと思う」と語った。

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