2014年8月7日  立秋
 

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<北京のお気に入り> 言葉より早く国境を越えた将棋-AKB48作曲家 (3)

人民網日本語版 2014年08月06日14:57

北京に来た当初住んでいた四合院がある磁器庫胡同 北京の中心地・故宮のすぐ東脇にある

実際河原さんはその言葉をすべて実現していき、アイドルと同世代の作曲家として一躍注目される存在となる。では、将来を嘱望され若手作曲家の筆頭にも数えられていた河原さんが今なぜ北京にいるのだろうか?

――僕自身も今その答えを探している最中なんです。奇跡的な偶然が重なって今ここにいるとしか言いようがないんですが、ただ今思えば来るべくして来たのかなと思います。

昔から人と接したり、何かを一緒に作り上げていくことが好きだったせいか、いつの頃からか音楽で世の中に関わったり、何か社会に貢献したいという思いを抱いていました。前々からボランティア活動にも興味があり、青年海外協力隊(JICA)などの説明会などにも定期的に足を運んでいました。

そんなある日、ウガンダの中等学校の音楽プロジェクトに関わる日本人男性と会う機会があって話を伺っているうちに、自分の中で世界中の子供たちと一緒に音楽をやりたいという思いが強く湧き上がってきました。

その後、途上国で音楽教育に携わりたいという思いが抑えきれなくなり、会社を辞めてフリーランスになった日に、フェイスブックで強い意思を持って、「海外に活動を求める」旨の文章を書き込みました。とは言っても、その時は、北京に来るなんて考えは全くなくて、南米やアフリカなどをおぼろげに念頭に置いていました。

すると、その書き込みを読んでくれた音楽関係者から、今北京で活躍している日本人のレコーディングエンジニアが帰国しているから飲みにおいでよという誘いの連絡が入ったんです。そこで出会ったエンジニアさんが「遊びにおいで」と言ってくれたので、お言葉に甘えて一週間ほど旅行に行きました。旅行中に北京の魅力を知って住んでみたいなと思っていた時に偶然知り合った人が借り手を探している四合院(中国の伝統家屋建築)を紹介してくれました。一目で惚れ込んで、引っ越しを決意しました。


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