日本が取るべき行動の重点は第一に、中国の発展を客観的かつ公正に見ることにある。日本側とりわけ与党安倍内閣は、責任ある態度で客観的に中国の発展を捉えなければならず、旧式の時代遅れの目で今日の中国を見るべきではない。現在の中国は120年前の清朝末期の中国でもなければ、77年前の中国でもない。今日の中国は、急速に発展するまったく新しい中国であり、世界の平和的発展にプラスのエネルギーをもたらすことのできる中国である。中国の発展は、日本を含むアジア太平洋地域にとってチャンスであり、脅威では決してない。色眼鏡を通した冷戦思考で日本が中国の発展を見るならば、中国との対抗をあおる偏った誤りの「中国脅威論」を生み出すしかない。
日本の行動の重点は第二に、勇敢な真心によって、過去の野蛮な侵略の歴史ときっぱりと手を切ることにある。日本の右翼勢力は過去の侵略の歴史の罪をあの手この手で否認し、弁明している。その目的は唯一、日本が侵略国家ではなかったことを「証明」することにある。日本は永遠に正しく輝きに満ち、日本の歴史絵巻には美しく汚れのない絵しかないというのである。だが歴史は客観的に真実を語るものであり、後世の人間が勝手に書くことのできるものではない。侵略の歴史を書き直そうとする日本の右翼勢力の動きは、その罪を際立たせるにすぎない。日本の侵略の歴史は、侵略された国の人々の血と涙の抵抗の歴史である。日本の右翼勢力は自分の目を一時的に覆い隠すことはできても、侵略された国のすべての人々の目を覆い隠すことはできない。日本の右翼勢力は自らの後ろめたい侵略の歴史を忘れることができるかもしれないが、侵略された国の人々は苦難の過去を忘れることはできないだろう。
日本の行動の重点は第三に、具体的かつ誠実に、私心や雑念なしに実行することにある。裏表のある態度を取ったり、口と心とが離反したりしているのではいけない。安倍首相はこれまで、中国首脳との会談を実現したいと公的な場所で繰り返してきた。だが会談のための会談には意味がない。重要なのは、安倍首相が、誠実な態度で事を進めることだ。靖国神社の参拝や歴史教科書の修正についても、安倍首相とその閣僚、与党の有力者は、靖国神社に近付くべきではなく、歴史教科書を元に戻さなければならない。日本の政界の要人が靖国への参拝を続けながら中日のハイレベル会談を口にしたり、侵略の歴史に触れる教科書を修正しながら「日中は友好関係の原点に戻らなければならない」と呼びかけたりするなど、発言と行動とが乖離した矛盾した態度が見られれば、中日関係の行き詰まりの打開の妨げにしかならない。日本が誠実な行動をきちんと示せば、中日関係の行き詰まりは自然と解消する。
日本の行動の重点は第四に、留保することなし、何も隠すことなしに、まっすぐに中日友好を推進することにある。留保を残したり、含みをもたせたり、外部勢力を抱き込んで有利を図ったりすべきではない。中日両国の行き詰まり打開や中国との関係修復を日本は恒久的な外交戦略として進めるべきだ。中国との友好が必要な時だけ関係を改善し、中国との友好が必要なくなったら、また中国が重要でなくなったら、各種の口実を探し、また各種の争いを作り出して、中日友好という大局を壊すというのではいけない。このような「実用的」な中国との友好を求めることは、中日関係の行き詰まりの打開にはつながらない。
中日関係の発展が順調であるかは、中国と日本の2カ国にかかわるだけでなく、アジア太平洋地域全体さらには全世界の平和と発展に密接にかかわっている。日本と中国との行き詰まりで損をするのは日本である。「価値観による外交同盟」という夢物語や「日米同盟」の強化で中国に圧力をかけようとする日本の近視眼的な姿勢は、中日関係の行き詰まりの打開には少しも役立たない。日本が唯一できることは、すでに行き詰まった中日関係をさらに硬直させることなく、徐々にほぐしていくための方法を率直かつ冷静に考えることだけだ。(編集MA)
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「人民網日本語版」2014年10月1日