2015年8月6日  
 

中日対訳健康知恵袋 企画集 北京のお気に入り

Apple新浪騰訊人民LINE微信RSS
人民網日本語版>>政治

方軍氏「戦争体験者との対話、勝利の時代の追憶」 (2)

抗日戦争勝利70周年インタビューシリーズ第5期

人民網日本語版 2015年08月06日09:48

 

南京軍校の礼堂で1945年9月3日、何応欽上将が、岡村寧次の署名して手渡した降伏書を受け取った。(油画)

 抗日戦争勝利後、中国は降伏受け入れのための区画を16区設け、日本軍の降伏を受け入れた。これらの降伏受け入れ区で日本軍の降伏受け入れに立ち会った中国の軍人の一部は存命だが、平均年齢は92歳に達している。

 今年95歳の袁翔斌氏は南京で、降伏受け入れの式典を2回経験した。黄埔軍校17期卒の袁氏は、新編第22師団の廖燿湘将軍下で少校大隊長を務めていた。9月9日に南京で行われた日本軍の降伏受け入れの式典には、再編された新六軍の少校として、部隊を引き連れて立ち会った。中国戦区の日本軍降伏調印式はこの日午前9時、南京中央陸軍軍官学校大礼堂(現在の南京軍区大礼堂)で行われた。中国や米国、英国、フランス、カナダ、オランダ、オーストラリア、ソ連など同盟国の代表47人が立ち会った。日本側は、中国侵略日本軍総司令官の岡村寧次が代表として降伏書に署名した。

 その後、この歴史的な瞬間に立ち会えなかったことに南京の民衆が抗議したため、市内の新街口大街の交差点で、一般人に向けた降伏式がもう一度行われた。岡村は式台で南京の人々に長い間頭を下げて謝罪した。2回の降伏式に立ち会った袁氏は、当時の光景を今もありありと思い出すことができる。

▽旧日本軍の元兵士「日中は二度と戦ってはならない」

 方氏の取材した戦争体験者には、中国侵略戦争に参加した日本側の元兵士も含まれる。1991年から1997年まで日本に留学した方氏は、この間に日本の元兵士を20人余り取材し、帰国後、『我認識的鬼子兵』(私が知る日本兵)を出版した。1998年からは、中国侵略に参加した日本の元兵士が北京に方氏を訪ねてくるようになり、十数人が方氏の家に宿泊したこともある。方氏は彼らに通訳・案内・運転を買って出て、様々な場所での講演の機会も作り、「跪いての謝罪」の実現にも力を貸した。これらの元兵士はいずれも、懺悔し、謝罪し、「日中は二度と戦ってはならない!」と望む人々だった。

 方氏はまもなく、『来謝罪的鬼子兵』(謝罪に来た日本兵)という新書を出版する計画だ。本多立太郎や東史郎、伊橋彰一、大芝孝、宮永正風、前田光繁、保谷政治、小林寛澄、山崎宏ら18人のエピソードが盛り込まれている。


【1】【2】【3】【4】【5】

関連記事

関連特集

コメント

最新コメント