4. 言語部門審査委員の所感
「日中友好中国大学生日本語卒業論文コンクール」は、あっという間に十八回を迎えました。正直に言って、こんなに続くとは最初とても思いませんでした。「白駒隙を過ぐ」の如く、この小さな事業が図らずも、幾多の春秋を経て、今日まで辿り着いたこと、感無量としか言えません。その功労者の名に輝いた当コンクールの発起人である小野寺先生に深く深く敬意を表したいと思います。継続の力に再び頭を下げ、この十八年間の継続により築かれた礎は、しっかりと中国の日本語教育史上に残され、後人に銘記されればと思います。
次は、言語組の審査員または一読者としての感想を述べます。
1、 入賞作品はいずれもそこから感動的な躍動が読み取られ、自ずと読者を感動させる力を持つ優秀な作品でした。論文作成もすべての学問と同じく、まず書くものつまり作者自身がその書こうとするテーマに深く感動していなければならないと思います。そのテーマとじっと睨み合い、何度も何度も心の交流がなければ、決していい論文はできないだろうと思うのです。佐久間象山・渡辺崋山など多くの俊秀を輩出した江戸後期の儒学者である佐藤一斎が曰く、「学を為すには、人の之れを強うるを俟たず。必ずや心に感興する所有って之を為す」、言い換えれば、自分が感動して、そしてその作成作業に全身全霊を投じて初めて、他人(読者)を感動させることのできる論文が生まれるだろうと言いたいです。
2、 卒業論文の指導教官ですが、「指導」をどう理解するかという問題があります。学生の心を感化して、やる気を起こさせることは最大の指導ではないかと思います。「教化」という言葉がありますが、卒業論文作成に関していえば、言葉の順序は逆かもしれません。つまり、「化して教す」でしょう。なぜかと言えば、「教」はいわゆる「知識を教える」ことで、「化」は「心を感動させる」ことでしょう。そのため、指導する教師本人が当該学問または当該論文のテーマにまず学生と共感を持っていなければ、いい指導もできないだろうと言えるでしょう。今回のすべての入賞論文から、そのような素晴らしい指導の影が見えていますから、非常に尊敬しています。
3、 今年は十八回目のコンクールですが、言語組に関して言えば、量質とも一段と進歩しています。今までよりはテーマの範囲がさらに広がり、論文構成から細部の論理整合性まで、いわゆる論文らしさも目に見えて増してきました。勿論、テーマに関する問題も依然として指摘すべきでしょう。一言テーマの問題と言っても、実は様々な問題があります。例えば、着眼点のいいテーマなのに、果たして自分の学力でカバーできるかどうかも、テーマの問題であり、一方、テーマが大きすぎて、内容が貧弱で、まるで雲を掴むような言葉で綴られた論文の存在も問題であります。
以上は今年の審査に当たって感じた三点です。取り留めのない思いの断片ですが、当コンクールの今後のますますの発展を期待しながら、本年度の所感として記し、筆を擱きます。
(南開大学 王健宜)
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