最近米国は冷戦時代に提供した兵器級プルトニウム331キロの返還を日本に催促し続けている。実際のところ、核保有という日本の野望はとっくに周知の事実となっている。これは日本の保有するプルトニウム40トン余りの氷山の一角に過ぎない。日本はH1、H2ロケットを開発済みのうえ、完全な固体燃料ロケットの開発にも成功しており、大陸間弾道ミサイル(ICBM)への改造は容易だ。すでに日本が十分な核物質、先進的核技術、強大な運搬能力を保有していることは明らかであり、もし本当に核の敷居を越えようとすれば、長くとも数週間しかかからないだろう。(文:思楚・国際問題専門家。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
ある国が脅威か否かを判断するには、その能力よりも意図が重要だ。われわれは日本の一部の危険で計り知れない企てに目を向けなければならない。1967年に日本の佐藤栄作首相は「核をつくらず、もたず、もちこませず」という「非核三原則」を打ち出した。だが、広島と長崎に投下された2発の原爆は日本人にとって永遠の胸の痛みである一方で、その影響が二極化してもいる。1つは不戦の誓いを堅守し、永遠に核を保有しないという考え。もう1つは核の能力を持たねばならず、そうして初めて核の不運に再び見舞われることを避けられるという考えだ。冒頭で言及した事実から見て、前者は民衆の感情を反映しているだけであり、後者こそが日本の現実の政策を示している。日本政治の右傾化がますます激しくなる中、日本の核保有の衝動を日本国内の反核勢力と平和主義者が抑えつけられるのかどうか大いに疑問だ。岸田文雄外相は先日、有事の際の米軍による核持ち込みに反対しないと公言した。これが「非核三原則」打破の試みであることは明らかだ。
もちろん、日本は核拡散防止条約調印国であり、核の敷居を越えるのは決して容易ではない。特に米国の姿勢は極めて重要で、非常に考えさせられるものでもある。米国は政府の立場としては日本の核保有に一貫して断固反対しており、プルトニウムの返還を要求する姿勢も割合断固たるものだ。だが米国のこうした決意が終始一貫したものでは決してないことを軽視してはならない。もし米国が本心から日本の核保有を阻止しようとしているのなら、数百キロの兵器級プルトニウムを「科学研究」用に日本に提供するはずがなく、冷戦時代に核廃棄物の処理を日本に委託して、日本のウラン濃縮能力の向上を後押しするはずもなく、ロケット開発面で日本を手助けするはずもない。報道によると、日本はロケット開発の初期段階に、米国のデルタロケットの技術を導入。H1ロケットは米国の技術を少なくとも20%採用している。ここ数年、ミサイル防衛(MD)技術の開発で米国と緊密に協力したことで、日本のミサイル能力はさらに高まった。