〇「父に代わり、中国に謝罪に行きたい」
臼井芳雄さんは中学時代、安藤先生という教師から、「中国は、日本にとって最も大切な隣国だ。中日関係の歴史をしっかりと研究しなければならない」と教わった。学校を卒業後、臼井さんは父親の研究所の後を継いだが、政治や歴史の話題にも関心を持ち続けた。彼は、特に2年前から、日本社会の雰囲気が戦前のムードに似てきていると感じている。平和憲法の改正の動きがあり、一部勢力から戦犯が英雄として称えられ、若者たちは、侵略の歴史についてほとんど何も知らない。臼井芳雄さんは、副業としてタクシーの運転手をはじめた。彼は時々、憲法改正の話題をタクシー客に持ち出した。日本が再び戦争への道に進むのではないかと心配していると臼井さんが話しても、客は全く関心を示さないのが常だった。ネット上で戦争の罪を否定する言論を見かけると、臼井さんは実名で父から聞いた話を投稿した。
臼井さんは今年8月、日中友好協会に参加し、初めて中国語の学習に取り組んだ。各種イベントに参加するたびに、侵略戦争についてより多くを知ることができた。また、中日両国の政治家が発起人となってスタートした中日友好事業にも積極的に関心を寄せるようになった。臼井さんは、「日本は、先の戦争について徹底的に反省していない。これは日本社会が右翼的思想に向かう原因のひとつとなっている」と指摘した。
かなり年月が経過している上、父親が、事件をめぐる具体的な場所情報などを残さなかったため、臼井さんは、「例の被害者は、湖南省臨湘県長安、華容県北景港、岳州付近に住んでいるかもしれない」という手がかりしか持っていない。臼井さんは、父親が生前に語った内容にもとづいて、縛られた中国人村民が拷問を受ける様子を絵に描いた。また、自分の誠意を示すために、記者に提供した証言資料に自分の印鑑を押した。臼井さんは、「もし、あの時の被害者の方が存命ならば、中国に赴き、本人に直接謝罪したい」と話した。(編集KM)
「人民網日本語版」2014年12月23日