2014年12月23日  
 

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<動画>旧日本軍兵士の息子 「父に代わり謝罪したい」

―中国メディアを通して被害者を探す

人民網日本語版 2014年12月23日14:26

 

臼井芳雄さんという名前の日本人から、一通のファクスが記者に届いた。尋ね人の記事を中国のメディアに掲載して欲しいという内容だった。今から70数年前、日本軍の兵士として湖南省に駐留していた臼井さんの父親は、一人の現地村民を拷問にかけたことがあり、その拷問によって、村民の身体には後遺障害が残ったという。臼井さんは、この被害者を探し出し、父親に代わって謝罪し、罪を償いたいと切望している。

記者は、東京都杉並区の粗末な民家に住む臼井さんを訊ねた。

〇「父の思い出話を聞くたびに、その残酷さに耐えられなかった」

今年63歳になる臼井さんは、表紙がボロボロになった家族のアルバムを見せながら、父親である臼井英雄さんが息子にした戦争中の想い出話を記者に語ってくれた。父親は、当時のことについてあまり多くを語ろうとはしなかったが、それらの話は、毎回「残酷」極まりない内容だったという。

臼井英雄さんは、1939年に軍隊に召集され、入隊した。当時はまだ18歳の高校生で、婚約したばかりたった。召集された兵士は、学生や農民が大部分を占め、正規ではない簡単な軍事訓練を受けただけだった。上級の将校や士官は、兵士の「肝っ玉を鍛える」目的で、中国人捕虜を「生きた標的」とした。新兵たちは彼らを手にかける勇気が出なかったが、将校や士官は、「天皇陛下の名のもとに」強行するよう彼らに命令した。腕が未熟であることから、「生きた標的」は、息絶えるまで、何度も切り付けられた。また、部隊はたびたび村の民家を襲い、若い女性を脅して連れ去った。年老いた母親は、娘が日本兵に連れ去られるのを阻止することもできず、後ろ姿を追って大声を上げて泣くしかなかった。

臼井英雄さんの心の奥底に、一つの忘れられない記憶が残っていた。きっかけは忘れたが、彼の所属する部隊が、20歳くらいの男性の村民を捕まえて、拷問にかけた。将校や士官は、この男性を地面に跪かせると、落ちていた釣鐘に後ろ手に縛り付けて拷問した。真夏の激しい日差しが金属製の大きな鐘に降り注ぎ、鐘の表面は非常に熱くなり、男性はとても苦しそうな表情をしていた。このような拷問は、当時、旧日本軍が中国の村民に対して頻繁に行った方法だった。その約1年後、臼井英雄さんは街頭で偶然、拷問された例の男性に出会い、彼の指が10本とも残らず無くなっているのを目撃した。

旧日本軍は、中国の兵士や住民に対して残酷だっただけではなく、身内の兵士に対しても人間性に欠けていた。上級将校や士官はたびたび、下士官に対し、妻や恋人から来た手紙を皆の前で朗読するよう求め、それを楽しんだ。臼井英雄さんは、子供の頃から、民主的な思想に大いに影響を受けたことから、このような行為に大変心を痛めた。婚約者からの手紙を上官の眼の前でびりびりと引き裂いたため、上官から殴られたこともあった。

戦争が終わり、臼井英雄さんは東京に戻り、気象機器・設備の開発業務に携わり、6年間自分を待っていてくれた婚約者と結婚した。1987年、臼井英雄さんはその生涯を閉じた。


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