2013年11月、曾さんは日本の大学を退学して成都に戻った。「帰国した息子は親不孝だと自分を責め、せっかく両親に学費を工面してもらったのに学業を果たすことができなかったと自暴自棄になり、口数も減り、外出することもなくなり、人と話したがらなくなった」。家に閉じこもりながらも、日本語の勉強だけは続けていたようで、劉さんは心を楽にして自然に任せるよう度々息子に声をかけた。
曾さんはうつ病を患ってから薬を飲んだり医者にかかるということを一度もしなかった。劉さんによると、彼は完璧主義で、自尊心が強く、繊細な心をもっており、病院に行きたがらないどころか、自分が病気になっていることを認めたがらなかったという。うつになる前の曾さんは、内向的でもなく、ピアノや声楽で上級を取得するなど多才な人だった。「うつになった原因は完璧主義過ぎたところで、自分をニッチもサッチもいかない状況に追い込んでしまったのだと思う。とても心が痛い」と劉さんは嘆く。
劉さんの観察では、曾さんの症状は最近好転し、口数も増え、外出する時間も少し増えていたという。人とコミュニケーションを取って生活を充実させれば、少しは気持ちも楽になるだろうと、仕事を探すことも薦めていた。しかし、完璧主義という短所が「いい仕事をみつけなければ」と自分に迫り、なかなか一歩が踏み出せなかった。
劉さんは中学校の教師で、これまで息子に対して強制的に何かを仕込むというよりは、自然な成長を尊重し、気持ちを緩めながら、楽しく健康に学ぶことを重点においてきたが、息子はそれを理解できず、「何もかも上手くできなかった」という挫折感を味わうまいと、何もかも完璧を求めてきた。「ただただ息子の帰宅を願い、悩みがあるなら向き合いたい」と劉さんは語った。(編集IM)
「人民網日本語版」2015年9月17日