2016年4月25日  
 

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伝統と現代の衝突から生まれた国・日本 (2)

人民日報・丁剛記者の訪日手記(4)

人民網日本語版 2016年04月25日10:07

何が言いたいのかよくわからない京都のある自動販売機の上に書かれた中国語の広告。

日本人の衛生習慣もまた外国からの影響と無関係ではない。大規模な疫病から公共衛生システムと民族の衛生習慣を変えた例として最も典型的なのが日本だからだ。1858年、コレラに感染したアメリカ海軍の水兵が日本に病原菌を持ち込み、日本全土に疫病が瞬く間に広がり、3年間で計28万人の人々の命が奪われた。そのため、日本は西洋医学に対する禁令を解いた。それ以前、日本の医学知識は主に中国医学を範としていた。公共衛生の概念を西洋医学から日本社会に取り入れ、日本人の疾病と健康に対する認識を一新させたのだ。

1868年、明治政府は医療体制の改革を宣言。この改革は日本人の衛生観念の大変革を意味し、日本国民に公共衛生の大切さを認識させただけでなく、健康を保つことと優れた衛生習慣を保つこと、民族を強大にしていくことを連携させた。日本史を研究する米国学者・スーザン・バーンズ氏は「その時点から日本人は病気を個人のプライベートな事情であるという考えを捨て、民族の力と威信をこれらの新興の概念の中に取り込んでいった」としている。

戦後の社会の変化や制度の再建もまた日本文化の伝統を保護するための条件を作り出した。日本はどうして大規模な現代都市を建築しながら多くの伝統的なコミュニティを残したり復興させることができたのだろうか?

伝統的にみても、日本の末端組織の自己組織能力は優れており、米軍占領中に制度の構築をしてさらに日本の末端組織の人々の政治に参加する力を強化・向上させた。米国学者のジョン・ホールの「日本の歴史」には「このように政治と社会の改革に注意した占領は一度もない」と記している。日本の文化評論家の加藤周一氏も日本の現代化は民主主義の原則を採用し、科学技術文明と日本の伝統文化の結合した形に過ぎないと考えている。加藤氏がいうところの民主主義の原則とはつまり戦後米国が主導で行った変革に関係がある。


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