2016年4月27日  
 

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優雅な藤の花に隠された中日の縁 (2)

人民網日本語版 2016年04月27日13:27

多くの観光客が訪れる紫藤園

上海で商いをしていた先輩の影響で生まれた嘉定との縁

藤本さんは岡山県出身の1932年生まれ、24年間連続で岡山県の和気町町長を務めた経験がある。彼は中日友好事業に身を投じたきっかけをこう語った。「私の故郷は非常に偉大な歴史的人物が誕生した土地でもある。その人物の名は和気清麻呂と言い、奈良時代末期から平安時代初期に活躍した著名な政治家だ。当時、遣唐使として中国に先進文化を学びに行った最澄と空海という二人の和尚を支援し、日本の発展に大きく貢献した。平成の世となり、先祖が行った国際交流について学ぶ必要があると感じ、中国との交流を決めた」。当時の和気町は長期的に交流する中国の都市選びをしていた。日本の日中友好協会と中国の人民対外友好協会に連絡し、推薦を受け、当時和気町町長を務めていた藤本さんが嘉定や桂林、西安、北京などの候補地を訪問し、最終的に純朴な気風で交通も便利な嘉定を友好交流都市として選んだ。

どうして上海の嘉定を交流相手として選んだのかという問いについては「私の村には父とほぼ同い年の忘年の友がいた。彼は戦前上海で商いをしており、日本に帰国した後もずっと上海の暮らしを懐かしがっていた。一緒に酒を飲むと、いつも上海での楽しかった日々やその頃の友人たちのことを語ってくれた。彼の影響で、私も上海にはずっと親近感のような感情を抱いており、それが最終的に嘉定を選んだ主な原因だと思う」と語った。


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