講座を開いて藤の花の管理経験を伝える藤本さん
上海の藤の花がワシントンの桜のように有名な友好の証となって欲しい
1987年11月、藤本さんは初めて上海の嘉定を訪れ、当時の李宝林県長や嘉定の人々から熱烈な歓迎を受け、藤本さんの決心は一層固まった。1989年末、藤本さんは再度中国を訪れ、嘉定や上海を訪問中に見聞きしたことを日本に持ち帰り、中日関係の健全な発展を推進していった。その後毎年、藤本さんは自らツアーを率いて嘉定を来訪し、嘉定側もしばしばツアーを組んで、和気町を訪問して交流した。交流が広がっていくにつれて、1992年10月15日には友好交流関係協議書に調印し、正式な友好関係を結んだ。
そして友好関係成立五周年を記念して、1997年3月19日に藤本さんは120株余りの藤の苗を嘉定の南側にある古城河畔に植え、1万平方メートルあまりの紫藤公園がここに生まれた。公園は現在、毎日数多くの観光客が訪れる人気の観光スポットに成長している。ではなぜ藤の花を記念に植えたのだろうか?「100年ほど前、日本の政治家が3000株の桜の苗をワシントンに持って行き、ポトマック川河畔沿いに植え、現在そこは世界でも有名な桜の名所になっている。中国に来て、上海の嘉定と友好交流を展開した当初から、ずっと我々の友好の証となるようなものは無いかと考えてきた。将来もしこの藤の花が中日友好の証となったなら、どれほど素晴らしいことだろう。そこからこの地に藤の花を植える考えが生まれた」と藤本さんはその理由を語った。
藤本さんはほぼ毎年嘉定を訪れては、毎回藤の花の剪定をしている。藤本さんは「藤の花は桜と異なる。桜は特に手入れをしなくても毎年美しい花を咲かせることができるが、藤の花は長い時間をかけて管理する必要がある」と語った。今年の初め、藤本さんは嘉定で藤の花の剪定をする際、藤の花の接ぎ木や剪定の方法と要点を口述し、嘉定区外事弁公室がそれを翻訳してまとめた。これを用いて今回藤本さんは区の園林緑化管理所職員を対象に講座を開いた。藤本さんはその講座の席上で「紫藤園は私の子供のような存在であり、毎年でも見に来たい。しかし私もすでに84歳となり、今後、体調がどうなるかはわからない。できる限り私の知識と技術を嘉定の藤の花を管理するスタッフに伝え、我々の友好の証である藤の花をずっと咲かせてほしい」とその思いを語った。