そしてなんと、ここ梅河口の生徒も日本の高校生徒と同じでした。日本語を学ぶ生徒のレベルはいろいろで、自分の日本語に自信がない生徒もいます。それで、自分には無理だと思って遠慮していた生徒もいます。でも個人的に声をかけ「私が手伝うから心配しないで!」と言うと次の日には自分で手紙を書いてきました。やればできるのに間違ったら恥ずかしいとか自分はできないという自信のなさが生徒の成長を妨げています。一度学習したことがすぐに完璧にできるのであれば、学校はなんと意味のない場所なのでしょう。すぐにはできないから、そのたびにアドバイスをくれ正してくれる先生や助けてくれる友達がいます。「子ども」は長い期間、教育を受ける権利の下で過ごします。だからこそ学校という教育機関を最大限利用すべきです。そしてその間に自身が学び取り成長していくことに学校教育の目的があります。その生徒の恥ずかしそうな、でも、少し誇らしげに持ってきたあの表情は忘れることができません。私は生徒が自分で書いた文章を基に生徒の好きなことや興味関心、考えなどを聞き出し一緒に文章を直していきます。語学や日本でいう国語の授業に携わる教師の特権は「作文」という分野を通して生徒の内面を知ることができるということです。そして文字を通して私自身の考えやアドバイスを伝えることもできます。彼らを知れば知るほど、「高校生」という生き物に国は関係なく、どこでも同じなんだなあという思いが強くなっていきました。今までは「日本中の高校生が同じ気持ちだ。」と生徒を励ましてきましたが、これからは「世界中の高校生はみんな同じ気持ちだ。」と言えそうです。