2015年9月18日  
 

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中国侵略日本軍元兵士「日中友好の前提は侵略を認め反省すること」 (3)

抗日戦争勝利70周年インタビューシリーズ第9期

人民網日本語版 2015年09月18日10:50

 日本軍は軍人に対して要求するのは、天皇に対する徹底的な忠誠である。「軍人勅諭」を守るなら、上級士官の命令は天皇の命令として聞かなければならないし、重要な時には命を捨てても天皇のために戦わなければならない。新兵に対する訓練は特に残酷だった。6カ月間、朝から晩まで訓練で、少しでも休んだり行動が遅かったりすれば殴られ、蹴られた。班内で誰かひとりが規定に違反すれば班全体が課され、互いに殴り合うことを強いられた。

 靖国神社も、侵略戦争への軍人の参加を励ます日本軍国主義の道具だった。当時の日本の軍人にとって、靖国神社は非常に重要な存在だった。「軍人も死ぬのは怖い。だが国家が、『死んだら靖国神社に祀られ、国家の神霊となるのだ』と言えば、軍人は安心する」。このような教育によって、中国人を平気で殺せるような日本の兵士は訓練されたのである。高橋は、このような洗脳の如き教育を長期にわたって受ければ人の頭もおかしくなると語っている。

▽戦争は終わっても苦しみはやまず

 高橋の属していた第59師団は1945年7月、ソ連赤軍が予定していた日本関東軍への進攻に対抗するため、朝鮮に異動させられた。まもなくして8月15日、日本は降伏を発表した。高橋はその日の様子を覚えている。部隊は山の上で工事作業をしていた。天皇が正午に玉音放送を行うとの知らせを受け、山のふもとの学校にみんなが集まり、ラジオを聞いた。ラジオを聞き終わり、具体的な状況はわからなかったが、高橋は日本の敗戦を知った。

 高橋によると、敗戦の知らせを聞いても特に悲しそうな顔をしている人はいなかった。「日本国内の人はつらかっただろうが、部隊の中の雰囲気は違った。戦争があまりにも苦しかったからだ」。「日本が負けたのなら日本に帰れる。その喜びの方がかえって強かった」


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