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釣魚島問題をめぐる日本側の虚偽の主張に再び反論する (3)

人民網日本語版 2016年05月05日08:50

 いわゆる「尖閣諸島」(釣魚島とその付属島嶼を指す)は、戦後から1972年までの日本のほとんどの地図にも書き込まれていなかった。1879年の日本による琉球合併後、中国の釣魚島は日本語の語順に従って「魚釣島」と呼ばれるようになり、黄尾嶼は「久場島」、赤尾嶼は「久米赤島」(後に「大正島」)と改称された。釣魚島とその付属島嶼は1900年から「尖閣諸島」と呼ばれるようになった。だが日本の多くの地図と文献ではその後も、中国側の島名「黄尾嶼」「赤尾嶼」が使用され続けた。日本側の上述の論理に従えば、日本は早くからこれらの島嶼が中国に属していることを認めていることが証明されていることとなる。

 四、日本外務省のウェブサイトによると、中国外交部が1950年に受領した(中国側)関連資料でも「尖閣諸島」の名称が用いられており、釣魚島が日本に属する証拠となっているという。だがこの資料はむしろ、中国側が1950年の時点ですでに、釣魚島と赤尾嶼の返還を求める主張をしていたことを裏付けるものである。この主張が提出されなかったのは、サンフランシスコ講和条約から中国が閉め出されていたからにすぎない。

 1950年5月15日に中国外交部が受領したという「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」に作成者の署名はない。この中には、対日講和条約起草にあたっては、赤尾嶼を含む釣魚島とその付属島嶼の中国への返還を求めることを検討する必要があるとの指摘がなされている。釣魚島とその付属島嶼は1895年から50年にわたり、日本の統治者によって「尖閣諸島」または「尖閣列島」と呼ばれていた。草案にこの名称が使われたのは、日本の占領統治下における島名がそのまま使われたにすぎず、法的な意義を持つ正式な名称として使われたのではない。類似の状況は「カイロ宣言」起草時にも見られる。この文書に「満州」という言葉が使われていても、中国が「満州国」を承認した証拠にはならない。

 同草案は、戦後の日本の領土画定について二種類の提案をしている。第一に、1879年の日本による琉球合併の際、中国側の承認を得るために八重山諸島と宮古諸島を中国の帰属とすることが合意されたことを根拠に、これらの島嶼を台湾に帰属させるという提案。第二に、清朝の冊封使・張学礼らの記載を根拠に、琉球の範囲を(釣魚島を含まない)36島とし、台湾から近い「尖閣諸島」(日本側の名称で、釣魚島と黄尾嶼、南小島、北小島を指す)と赤尾嶼は台湾に帰属させるという提案である。こうした主張は、戦後初期の国民政府のこの問題に関する立場と基本的に一致している。(編集MA)

 「人民網日本語版」2016年5月5日


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