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釣魚島問題をめぐる日本側の虚偽の主張に再び反論する

人民網日本語版 2016年05月05日08:50

 日本政府は、「日本または琉球国による釣魚島の保有」を裏付ける法理や根拠となる事実を1895年以前に遡っては挙げられないことを重々承知している。日本政府はそのためこれまで長期にわたり、事実と文献を歪めた一面的な解釈を国際法の学者を通じて与えることを余儀なくされてきた。近年はとりわけ、国内の学者や記者、右翼団体などを利用し、中国大陸と台湾の関連地図・文献を隅々まで探し回り、釣魚島の日本帰属を中国が認めていたことをどうにか証明しようと躍起になっている。日本政府はウェブサイトで、これらの調査活動の結果を公表している。だがそうした努力は徒労である。以下、いくつかの例を挙げてこれを説明しよう。(文:劉江永・清華大学国際関係研究院教授)

 一、日本外務省によると、「1920年5月に、当時の中華民国駐長崎領事から福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発出された感謝状においては、『日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島』との記載が見られ」、これは、釣魚島の日本帰属を中国が認めた揺るがぬ証拠だという。だが日本の台湾殖民統治時代の史料を証拠として持ち出すのは、時間的な順序の転倒した錯誤である。

 中華民国9年(1920年)5月20日、中華民国駐長崎領事・馮冕が「日本帝国八重山郡石垣村顧玉代氏孫伴君」に宛てたものとされるこの「感謝状」には、「中華民国8年、福建省恵安県の漁民である郭和順ら31人が、強風のため遭難し、日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した」との記載がある。日本の一部はこれを、「尖閣列島が日本の領土であることを中国が認めていたことを示す最も有力な証拠」とみなしている。

 だが「感謝状」に記されている「尖閣列島内和洋島」がどの島を指すのか、今になっても明らかになっていない。中日両国が釣魚島を「和洋島」として扱った先例はない。日本側の資料にも「和洋島」という島名は見当たらない。日本はかつて中国の釣魚島を「魚釣島」「和平山」と称したが、「和洋島」という呼称を使った例はない。

 従って「感謝状」記載の情報の真偽には考証の余地がある。だが史料の真偽を問うまでもなく、歴史的事実を少しでも分析すれば、「感謝状」が十分な証拠足り得ないことはすぐわかる。日本は1895年、不平等条約「馬関条約」(下関条約)で中国の台湾省を不当に占領した。これに先立って、台湾に属する島嶼の釣魚島も奪取している。この状態は、日本が敗戦・降伏する1945年まで続いた。つまりこの間の「感謝状」にそう書いてあるからといって、釣魚島が日本の「固有の領土」であることを証明することはそもそもできないのである。台湾殖民統治時代の「証拠」を持ち出しても証拠にはならない。


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