民族・文化的アイデンティティは、もともと18世紀前後に、国民国家が徐々に形成されつつあった欧州諸国で、政治的手段を使って打ち立てられた言語的共通性を契機とした共同体(公共圏)や、共同体におけるレトリックの循環を通して、「想像の共同体」としての国民国家の礎を築く過程で形成されてきた。日本では、こうした国民国家の概念は、「黒船来航」以降にようやく国内に入ってきた。19世紀末に大量に出現した、「日本人とは何か」、「日本人とはどういうものか」といった文化的アイデンティティや自我意識に関する核心的問題や観点が、日本思想史において長年盛んに議論されることになるテーマ「日本人論」を形成した。北京晨報が伝えた。
戦後の地政学の大きな変化と植民地解放運動は、欧州の領土に「境界線の曖昧化」といった18世紀以降最大の変質をもたらした。これには、国家の境界線だけでなく、民族・文化的アイデンティティに対する新たな思考や立ち位置も含まれた。民族的言語に基づく文化的共同体は依然として強大な勢力を持っていたが、境界線を明確に定め、自己と他者の違いを強調したり、さらには自己優越論を掲げたりすることは、明らかに歓迎されない言論として捉えられた。
日本語を理解し、政治学の常識がある在日外国人なら誰でも、日常生活の中で「日本人論」が出てくる頻度が驚くほど多いことに気付くだろう。例えば、テレビ朝日で放送された、国外で働き、影響力を持っている日本人や海外で話題になった日本の技術や発明品について専門に紹介する番組「たけし・所のWA風がきた! 」(2001年)など、テレビ番組でもよく取り上げられている。このほか面白い事例として、2001年5月に発売された「週刊新潮」における花の特集を挙げることができる。記事の中には、イチハツやカラシナ、百合などの花が紹介されていたが、これらの花は日本特有のものではないにもかかわらず、特集のタイトルには「日本の花」とつけられていた。