時田さんは、これまでずっとホテルや飲食店といったサービス業に従事してきた。いわばサービスのプロである。北京に来る前は、チェーンの居酒屋や個人が経営する人気居酒屋店で、オーナー兼店長の補佐としてメニュー開発、仕込み、発注、接客などすべてを担当してきた。昼前には店に入り、夜は午前2、3時に店を出て、朝方4時から5時に就寝。プライベートな時間が一切ないハードな生活をここ10年間程続けてきた。そんな生活を続けてこれた理由について時田さんは次のように語った。
――やっぱり接客が楽しかったんです。あと、21歳の時に取った利き酒師の資格をお店で活かせるようになったのも大きかったですね。自分が好きな日本酒を置いてもらったり、常連のお客さまと日本酒の話をしたり、美味しい新鮮な魚介類や料理にあわせて日本酒を熱燗やお冷やにしたりと色々と自由に作り上げていくことが面白かったんだと思います。多分、誰かがこうして欲しいなと思っていることを形にしていくことが好きなんです。
自由な時間は一切なくても、充実した日々を送っていた時田さん。しかし、以前から海外で働いてみたいという思いがあり、思い切ってお店を卒業することにする。
――海外で働きたいと思ったのは、利き酒師の免許を活かして、海外の人に日本の美味しい料理とお酒を提供したいという気持ちのほかに、外国の方が求める接客がどんなものなのか?これまでやってきて、ある程度認められてきた日本式の接客は通じるのだろうか?という好奇心もありました。
やっぱり日本人ってどこの地方の方であろうと、求めるサービスやタイミングは似ているんですよね。でも、これまで接してきた外国の方はやはりどこか違っていました。それもあって、もっともっと色々な人々に触れて、勉強したいなと思ったのがきっかけです。
当初はフランスやイタリアなどサービス業に従事する人々に敬意が払われる国々に興味があった。正直、北京には来たくて来たというわけではなかったという。
――インターネットで利き酒師の免許が活かせる職場を探しているときに、偶然北京のsake MANZOの情報に行き当たりました。
社長は学生の時に関東の利き酒大会で優勝したり、毎年ロンドンで開かれるIWCという世界ワインコンテストの中の酒部門の審査員を務めるほどの豊富な知識を持つ利き酒師で、日本酒を世界でもっと飲んでもらいたいという確固とした目的を持っていました。私も日本酒が好きだし、接客が好きです。社長の考え方も尊敬できたので、いいかもしれないと思いました。
ただ、最終的に決める前に父と一緒に旅行がてら北京に店を見に来ました。初めて店を訪れた時、料理の味も本場の日本の居酒屋さんの味で、店の雰囲気も素敵だなと思ったんですけど、お店が本当に回っていなくて。ぱっと見た瞬間に改善すべき点が色々と目につきました。でも逆に、この店はもっと売れるに違いないと確信したことで、北京に来ることを決意しました。