サービスのプロの目からすると、北京に来た当初の店のサービスは日本の常識から大きく外れたものだった。
――サッカーの試合に例えると、ボールに選手全員が集まってしまうという状態でした。1つの問題に対して、みんながバーっと集まって、他は全然見ていないとか、従業員が自分たちだけでしゃべっていてお客様を全く見ていないとか。接客業は見ることが大事なんです。そういう基本的なところができていなかったですね。
しかし当初は言葉がまったくわからない上に、考え方の違いやカルチャーギャップがあって、思うように改革は進まなかった。
――言葉は本当にゼロの状態で来てしまったんです。1カ月ぐらいいたらなんとかなるだろうとなめていたら、全くどうにもならなくて。多分、中国人にとって正しい伝え方というのがあると思うんです。当初は、日本語をしゃべれるスタッフが通訳をしてくれていたんですけど、やっぱり言葉も含めて、信頼関係がなりたってないところで、伝え方も良くなかったんでしょうね。1年ぐらいは思いがなかなか上手く伝わらなかったです。
特に大きな障害となったのは、サービスに関する考え方の違いだった。
――日本では当たり前にやっていたことが、こちらではなんでこんなことをやらなければならないんだ?と気持ち的に納得してもらえないことが多かったですね。
恐らく、中国ではサービスという目に見えないものがお金に換わるということがわからない人が多いんだと思うんです。店にとっては、お客さまにとって意味があることであれば必要なんです。ただ、従業員にとっては、それが無駄で要領が悪いことに思えてしまったり。
例えば、グラスをお客様に出したり下げたりするときに、上からわしずかみにして持つ人がいます。効率よくたくさん持てるからです。でも、それは美しいですか?汚れた手はちゃんと洗いますか?清潔ですか?という問題です。同じように、日本人は台フキを折り畳んで使って、汚れたら違う面にして、最後にゴミを取って拭きます。でも、中国人は畳まないですし、ゴミは床に落とします。これも中国人にしてみれば、次の日の営業前に床は掃除するからいいじゃないという感覚なのですが、では今いるお客様はそれを見てどう思うか?という問題ですよね。
ただ、お客様にとって美しいか美しくないかという説明をしても、中国人にとってはその基準がよくわかりません。でも店にとって大事なのは、すぐにやってもらうことなんです。なので、説明するよりも、まずはグラスは下から持たないと減点、台フキは折り畳んで拭かないと減点というように細かい部分をルール決めしていくところから始めました。そうすると、中国人の従業員はとても素直なので、すぐに言うことを聞いてくれました。説明して納得しないと動かない日本人とはこの点はまるで違います。
長くサービス業に携わってきた経験から、まずは客をよく見て、自分だったら何をして欲しいだろうか?と想像しながら接客を行うという時田さん。でも、北京ではその経験や考えが時には通用しない出来事にも遭遇した。
――当初、中国人のお客さまに日本酒を勧める場合、値段は関係なく料理にあったものや、安くても美味しいものなどを勧めていました。でも、それが場合によっては中国人の方の面子をつぶすことになることを後になって知りました。特に、接待などの場合では、中国人のお客様は値段の高いものやパッケージが豪華なもの、あるいは皇室に献上されたお酒であるとか背景にストーリーがあるお酒を好まれます。
それがわかってからは、中国人のお客様へのお酒の対応は中国人の従業員に任せることにしました。私は利き酒師として、お客様の要望に合ったお酒をいくつかチョイスして、従業員がその中からお客様に勧めるというやり方をとっています。
北京に来て1年4カ月、このように一つ一つ小さな改善を積み重ねてきた。中国語も語学学校や家庭教師について勉強し、今では店の中のことであれば、従業員とほぼ問題なくコミュニケーションが取れるようになった。そして、時田さんや従業員の努力のかいもあって、今ではほぼ毎日満席が続き、年間売り上げは来た当初の約1.5倍増となった。
――北京では、本当に恵まれてます。まだまだ試行錯誤はありますが、仕事もまずまず順調で、休日の時間や友達と遊ぶ時間もある。なんて世の中は素晴らしいんだろうと思ってます。でも、その反面、今後自分が日本に帰って同じような職業についたとしたら、私はやっていけるのだろうか?大丈夫だろうか?という不安を感じたりもします。
そんな不安を漏らす時田さんを見て、「それでいいんだ」と応援したくなった。恐らく団結湖公園や北京生活は、時田さんにとって、生活や人生に不可欠な句読点のような存在なのだ。太陽を浴び、緑を感じ、自分が生きていると実感する。そんな恵みの時間が時田さんの人生に必要だったのだろう。もしかすると、北京に来たのは、そのことを気づかせてくれるための神様のプレゼントだったのかもしれない。