ここは、飲み物の種類も多く、メニューも充実してます。値段の割りにボリュームもたっぷりで子供たちも大好きです。特に、子供たちはステーキが好きですね。雰囲気もフレンドリーで、子供連れでも気にならないところが気に入ってます。
あと、人民大学では、よく学生が路上でフリーマーケットをやっているので、それをのぞいたりして楽しんでます。いろんな物が売られていて面白いんですよ。大学内には中国風の庭園もあって、夏の夜にそこを散歩するのも気持ちがいいです。
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五十嵐さんと中国との出会いは、すなわち五十嵐さんと中国人の夫との出会いでもある。初めてしゃべった中国人も、初めて北京に行くきっかけとなったのも、そして現在北京に住むきっかけとなったのも、すべて夫だ。
2人の出会いは、五十嵐さんの母親が足をくじいて歩けなくなったことによる。
――母の友人からすごくいい先生がいると紹介され、自宅に治療しに来てくれたのが当時日本の整体院で働いていた主人でした。その頃私も少し頭痛があったので、整体の治療をしてもらいました。ただ、主人は日本語が話せなかったので、しゃべった言葉は、場所を指す「上、下、横」だけでした。2回目の治療の時には、「もうすぐ北京に帰る。北京に来ることがあればぜひ連絡してほしい」ということを辞書を引きながら片言の日本語で伝えてくれました。
五十嵐さんの夫、張さんはこうしてまもなくして中国に帰国した。通常ならここで縁が切れるはずの2人だったが、その年の暮れ、五十嵐さんは母親から旧正月は花火が凄そうだから、北京に行ってミレニアムを迎えようと誘われる。そこで張さんの言葉を思い出した五十嵐さんは張さんに連絡を入れた。
――朝から晩までとても熱心に案内してくれました。親切で優しい人だなと感動したものの、ビザの問題もあるし、もしかすると会うのはこれで最後になるかもしれないと思いながら日本に戻りました。
すると、それから半年後、張さんから突然連絡が入った。
――日本語を勉強するため、学生ビザを取って日本に来ましたという報告でした。北京でお世話になったので、今度は私が東京を案内しますと、お台場に案内をしたところ、その際に、いきなり結婚という話が出て・・・。実は、勉強というのは名目で、すでに私と結婚するつもりで日本に戻ってきたそうなんです。
それまでの私の夢は、日本人のサラリーマンと結婚して日本で普通の暮らしをするという平凡でささやかなものでした。しかも、主人とは、この日を含めて実際に会ったのはたったの4回。正直戸惑ったんですが、なぜかその時、結婚してもいいかなと思ったんです。北京での誠実なアテンドぶりや人柄に触れたこともありますし、北京と日本は距離的に近いということもあったと思います。
それに、この話を家族にしたとき、母からは、「たぶん日本人とは結婚しないだろうと思っていた」と言われ、父親からは「お前みたいなのでもいいと言ってくれるなんて奇特な人だ」とすごく喜んでくれて。周りのみんなが祝福してくれたことが大きかったですね。