2014年12月31日  
 

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95歳を迎える抗日兵・鄒道本氏 (2)

筆を捨てて銃を取った若者、老後は慎ましい老人ホーム暮らし

人民網日本語版 2014年12月31日10:36

鄒道本氏がいつも枕元に置いている一番のお気に入り、抗日戦争関連書籍

【少佐中隊長となる:爆弾が目の前で爆発】

1940年、鄒道本氏は柳州で卒業を迎えた。卒業後、昆明の「西南運輸総処(のち、中国ミャンマー運輸総局と改名)」に配属された同氏は、陸軍輜重兵(軍需品の補給や陸上輸送にあたる兵士)自動車第18団少佐中隊長に任命され、雲南ミャンマー道路における物資輸送業務を担当した。

「我々が運んだのは、食糧や軍備などの物資だった。道路状況が悪かったため、車が横転するような事故が毎日のように起こり、挙げればきりがなかった。旧日本軍の戦闘機から爆撃されることもあった」と氏は話した。

また、鄒道本氏は、「最も恐ろしかった出来事」として、空爆の経験を挙げた。「車両が集中していたため、黒林鋪街道は、旧日本軍にとって格好の攻撃目標となった。ある時、旧日本軍による空爆が起こり、我々は地面に伏せた。空中に投下された爆弾が、私の眼の前、わずか約50メートル先で爆発した。大きな煙が立ち上り、砲弾の1つが飛んできて、私のズボンを引き割き、右足を負傷した。幸い、怪我はそれほどひどくなかった」。

そう言いながら、鄒道本氏はズボンの裾をまくって、60数年前に残されたかすかに見える傷跡を見せてくれた。


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