2014年12月31日  
 

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95歳を迎える抗日兵・鄒道本氏 (3)

筆を捨てて銃を取った若者、老後は慎ましい老人ホーム暮らし

人民網日本語版 2014年12月31日10:36

読書する、新聞を読む、テレビを見る-とても規則的な毎日を送る鄒道本氏

【「歴史反革命分子」「右派」:一時は無収入に】

1945年、中国は抗日戦争に勝利した。鄒道本氏は上海に戻り、空軍工兵本隊に職を得た。この時、彼はすでに中佐になっていた。その数年後、国共内戦が勃発した。1949年5月、上海が解放された。国民党の兵士として、鄒道本は他の兵士とともに台湾に撤退するチャンスがあった。だが、彼は、「当時の国民党は腐りきっていた。私はもはや、そこに居続けることは耐えられないと感じた。その後、解放軍による宣伝アナウンスを聞き、上海に留まることにした」と語った。このような決断をしたことから、国民党軍上海空軍司令官部から脅されるという経験もした。

旧抗日兵である鄒道本氏が、その後何度も、いろいろな運動を「率先して進める」ことになろうとは、予想もつかないことだった。

「私は国民党で仕事をした経験があり、中佐という軍人階級だった。こうして、『歴史の反革命分子』と『右派』という2つの『帽子』がかぶせられ、しばらくの間、公職を奪われることとなった」と氏は話した。

混乱を鎮めて正常に戻すという歴史的意義を持った第11期第3回中央委員会全体会議が開催され、第55号文書で右派問題の処理に関する決定が実施され、鄒道本の名誉はようやく回復、高級技師という職名と相応の収入が約束された。

名誉を回復した後、氏は遼寧省朝陽市道路管理処で仕事に就き、1986年の定年退職まで勤め上げた。退職後、ふたたび上海に戻った。


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