2014年12月31日  
 

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95歳を迎える抗日兵・鄒道本氏

筆を捨てて銃を取った若者、老後は慎ましい老人ホーム暮らし

人民網日本語版 2014年12月31日10:36

ボランティアから贈られた抗日戦争記念メダルを身に着け、誇らしげな鄒道本氏

人民網はこのほど、「暖冬行動-抗日兵に愛と関心を」をテーマとする一連の年末特別報道を企画した。年の瀬が迫ったある日、記者は、上海市閘北区天目西路大街にある老人ホームを訪れ、かつて抗日戦争で戦った老兵・鄒道本氏と面会した。抗日戦争、解放戦争、反右派闘争、文化大革命、改革開放―-。95歳になる鄒道本氏は、20世紀以来中国で起きた重要な歴史的事件のほぼすべてを体験してきた。昔を振り返り、鄒道本氏は、確固たる自分の考えを、悠然と語った。人民網が報じた。

【「資本家」2代目:筆を捨てて銃を取る。亡国の民には絶対にならない】

鄒道本氏の父親は、上海閘北で織物工場を経営していた。商売は順調だったが、旧日本軍の侵略によって、経営状態は悪化の一途を辿った。抗日戦争が全面的に始まろうとしていた1936年、当時16歳の鄒道本氏は、上海にある私立の中華高校に通っていた。傍若無人を極めていた旧日本軍が南下し、上海市民は町も住民も滅ぼされるのではないかという大きな恐怖におののいた。国の仇を恨んだ鄒道本氏は、「私は心の底から、亡国の民だけにはなりたくないと思った」と話した。

そのような信念から、高校2年生だった鄒道本氏は、学問の筆を捨てて軍人となる道を選んだ。南京の陸軍機械化学校を受験して合格、戦車や機動車に関する機械工学を学んだ。

1937年8月13日、「八一三」淞滬会戦(第二次上海事変)が勃発した。同年11月、上海は旧日本軍に占領された。これにより、抗日戦争は、盧溝橋事変後の地域的衝突から中国全国を巻き込む戦争となった。瞬く間に、旧日本軍は中華民国の首都・南京に向かい、虐殺・略奪・焼きつくしの限りを尽くした。

12月、鄒道本氏は学校と共に撤退し、学校は南京から湖南長沙に移転することになった。「学校の命を受け、我々は3人一組で車を運転した。安徽宣城でも、旧日本軍による襲撃、略奪、逃走を目撃した。南京を離れて10日後、南京大虐殺が始まったと聞いた」と氏は振り返った。12月13日、日本軍は南京を占領し、6週間にわたって大虐殺を繰り広げた。この凄惨極まる歴史について、鄒道本氏は、「非常憤恨(大変憤り、恨んでいる)」の4文字で、自分の心情を吐露した。


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