最後の参観スケジュールを終え、間もなく南京を離れ上海に向かうという時、西山さんは震える手で胸ポケットから手紙を出し、呉先斌館長さんに挨拶した後、一字一句を読み上げた。手紙の内容は以下の通り。
「中国の人々へ
今から70年余り前の日中戦争において、私の父を含む日本の軍隊は、中国各地の平民に言葉で言い表せないほどの苦痛を与えた。私の父、西山正勇は砲兵であり、旧日本陸軍第九師団(金沢市)山砲兵第九連隊第二中隊に所属し、1932年の上海事変と1937年の南京攻略戦に参加、中国に対して2度にわたる侵略行為を行った。父は1938年5月に徐州の近くで負傷し、1940年に東京陸軍病院で亡くなった。父の犯した罪は、時の政府の指図によるものではあるが、仏教的な観点から見れば、この罪は彼自身が背負うほかはなく、他人が肩代わりできるものではない。許しを得ることは難しく、父の罪を軽くすることはできないことは重々承知しているが、私は彼に代わり、中国の人々に謝罪したい。父らの侵略の事実は永遠に消し去ることはできない。次の世代の人間として、私は中国の人々に、心からの謝罪の言葉を伝えたい。
2015年12月14日
西山誠一」
手紙を読み終えると、西山さんは手紙の内容を南京の人々に伝えてくれるよう呉館長に依頼した。西山さんの行動に感じ入った呉館長は、江蘇省の新聞・現代快報にこの特殊な手紙の内容を掲載するよう委託した。「昨年始まった国家追悼式典は、我々だけでなく、日本の人々の心も大きく動かした。国家追悼式典にもし一般人、特に日本の人々の参加がなければ、やはり遺憾に思う」。