天安門広場はいくつかの重大な歴史的事件を記録しているだけでなく、同地をよりどころに様々な恒久的あるいは一時的な建築物が建設され、この国を代表するシンボルとなっている。国慶節(建国記念日、10月1日)の訪れを目前にひかえ、この国全体に馴染み深いシンボルに再び近づき、人に知られぬエピソードをご紹介したい。北京青年報が伝えた。
その完成から600年にわたり、天安門広場は一貫して権力の「立入禁止区域」として存在していた。1984年になって当時の中国共産党中央総書記の胡耀邦氏がある市民から、楼閣を一般市民向けに開放するよう呼びかける手紙を受けとるまでこうした状況が続いていた。4年後、初めての一般観光客がこの神秘的な舞台に上った。
▼楼閣の開放 一般大衆が胡耀邦総書記に手紙 「楼閣へ上るのが30年来の夢」
1984年9月、「華興」と名乗る高齢者が当時の中国共産党中央総書記の胡耀邦氏に手紙を書き、一般市民の要望に応じて天安門楼閣を一般開放し、一般人が見学できるようにしてほしいと呼びかけた。
「華興」さんは手紙で、「30年以上にわたり、天安門にくるたびに天安門楼閣を仰ぎ見て、いつかこの『祖国の心臓部の心臓』に上りたいと夢見ていました。これは『幻想』、『白日夢』だと言う人もいるが、私はいつの日か夢は現実になると深く信じています」と書いている。
この手紙が当時の胡耀邦総書記を動かし、また当時の中央指導者たちの注目を集めた。万里ら指導者たちはこの手紙を順に読み、当時の中国共産党中央弁公庁主任の王兆国が「中央の審査許可のため、北京市に具体的な方法を打ち出させるように」と指示回答した。
1988年1月1日、北京国際観光年の初日、天安門楼閣は正式に一般開放された。観光客が上る前、北京市観光局は楼閣上で簡素かつ指導者が参加しないテープカットを行った。
早朝7時過ぎに、東四人民デパートの定年退職した元会計職、高錫武さん(75歳)が最初に楼閣へ上る入場券販売窓口の前に並んだ。9時に史上初めての天安門楼閣見学券が10元(約178円)で発売された。
天安門楼閣に上った初めての一般人として、高錫武さんは北京市観光局に景泰藍の花瓶と証明書を贈呈された。
それ以来、天安門には二重の機能が与えられた。
一方では、国家の重要な政治活動の場所として、毛沢東主席や改革・開放の総設計者である鄧小平氏、江沢民総書記、胡錦濤総書記の4世代にわたる指導者はいずれも天安門楼閣に上がり、人民大衆と党、国家指導者との距離を縮めてきた。
他方では、天安門楼閣は重要な観光地にもなった。楼閣開放の初日は国内外から2千人以上の観光客が訪れた。この年、楼閣に上がった人の数は60万人以上に達した。2012年1月1日、江蘇省南京市の陳寧さん一家が、楼閣開放以降に訪れた5300万人目の観光客となった。ここ数年、楼閣に上る人の数は毎年200万人以上の規模となっている。(編集YH)
「人民網日本語版」2014年9月29日