2014年12月5日  
 

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誠意ある懺悔こそ、良知ある日本人

人民網日本語版 2014年12月05日07:41

安倍晋三首相による侵略の歴史の美化、南京大虐殺の否認の流れは依然続いているが、良知ある少なからずの日本人が当時の災難を心に刻み、様々な手だてで懺悔、贖罪している。揚子晩報網が伝えた。

例えば南京大虐殺記念館の大型油絵「南京破壊の跡」を描いた日本人画家、水原房次郎氏は、従軍記者として南京大虐殺の惨状を目撃、亡くなる前に作品を記念館に寄贈した。元日本人戦犯・塚越正男氏は撫順で6年の教育を受けた後、日本反侵略友好訪中団を率い記念館を3回訪問し懺悔、中国政府に新たな命を授かったことに感謝した。

一部の旧日本兵は昨今、徐々に沈黙を破るようになり、日本社会に大きな衝撃を与えている。東史郎氏は旧日本兵を代表し懺悔し、生前に延べ8回、記念館を訪れ謝罪した。歴史の真相を人々に伝えるべく、日本で戦時日記を出版し、日本の右翼と最高裁まで争った。

毎年清明節(4月5日頃)になると、日中協会は日本国民を募り、懺悔のため南京を訪れ植樹する。すでに29年続き、6万本以上の木が植えられた。彼らの活動は「緑の贖罪」と称される。活動の提唱者である岡崎嘉平太、菊池善隆の両氏が亡くなった後も、妻子が遺影を掲げ南京を訪問、贖罪を続けた。

日本では教科書改訂、靖国神社参拝などの事件が相次ぎ、多くの平和を愛する日本国民は自発的に反戦団体を立ち上げた。例えば毎年8月15日前後、「銘心会」は南京など中国各地で戦争責任追及集会を開いている。松岡環さんは1987年より、「銘心会」南京友好訪中団団長を務めている。

松岡さんは1987年、初めて記念館を見学し、旧日本軍の罪業に衝撃を受け、生活の重心を移した。南京を延べ100回以上訪れ、南京大虐殺生存者180人以上を訪ねた。同時に日本国内の旧日本兵250人以上も訪ね、侵略の歴史を明らかにするため自ら編集・出版した著作は、日本で南京大虐殺の歴史を伝える上で一定の役割を果たした。


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