でも生活し始めると、その印象は裏切られ、失望することも多くなりました。環境が整えられ、人々が礼儀正しいのは変わりないのですが、人々の間の感情が深まることはあまりなく、毎日忙しくて話をする時間もありません。礼儀正しく親切で、ビジネス面でも信頼できそうな人々ながら、ロボットのように感情に欠け、心と心の間にはいつも一定の距離がある――そんな風に感じ、なかなか親近感を覚えることができませんでした。
日本に留学してからもう30年近くになりますね。日本については、よく知っている自信があります。これには二つ訳があって、まずは日本で暮らした期間が長いこと。中国と日本の間を行ったり来たりしながら、普通の留学生もしましたし、アルバイトもしました。会社も起業しましたし、経験は豊富なつもりです。中日交流の事業にも力を入れており、多くの活動に参加してきました。日本にはもう1200回ほど往復しました。政治家や外交官よりも渡航回数は多いかもしれませんね。もう一つの理由は、妻が日本人であること。結婚してもう28年になります。日本の事情や人脈、大和民族の「DNA」などについては他の人より詳しいと自負しています。
■アルバイトで学費稼ぐ 普通の人々との触れ合い
――留学当時、日本の社会や文化にどのような印象を持ちましたか。
到着して間もなくは右も左もわかりません。学校に通うほかに、学費や生活費のためにアルバイトをしました。職場では、日本人はどうやって仕事をするかは教えてくれますが、代わりに仕事をしてはくれません。1分働いたら1分だけ給料がもらえるという意識で、公私の分もきっちりわきまえています。韓国人の経営する焼肉店で働いていた時、皿を割ってしまったことがありました。そうしたら店のおかみさんが2日分の給料を引いておくというのです。2日分働いたのがおじゃんになってしまったわけで、私は心の中で憤りを感じずにいられませんでした。それからしばらく経ってからですが、妻と歩いていたら、焼肉店が閉店したというおかみさんが甘栗を売っているのを見かけました。それまでの恨みも忘れて栗を買ってあげたことを思い出します。
日本では、日本人の仕事への真剣さや厳しさを様々な場面で感じました。魚屋で働いていた時のことです。四角い箱に入った冷凍の魚を運ぶのですが、日本人はフックをかけて引っ張ったり、手袋をして押したりしています。私は、足で蹴れば滑って行くことに気付き、これなら時間も力も節約できると蹴って歩いていたのですが、たくさんの人に注意されました。そんなやり方じゃ駄目だ、魚に対する敬意が足りない、というのです。私はぴんと来なかったのですが、日本人のやり方に多くの作法があり、勝手なやり方は許されないのだということを学びました。