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中国滞在25年の日本人外交官「中国の元抗日兵士と固い友情結ぶ」

抗日戦争勝利70周年インタビューシリーズ第12期

人民網日本語版 2016年01月06日09:42

 多くの人の目に、外交官は、華々しいと同時に謎めいた職業と映る。めまぐるしく変化する国際的な舞台で活躍し、国交の重任を背負う。だが元駐重慶日本総領事で中国通の大ベテランである瀬野清水氏によれば、外交官にとっては、普通の人々の中に入っていくことも重要な一面となる。瀬野氏は、出会った人すべてと誠意をもって交流することを仕事の理念としてきた。

 瀬野氏は、北京や上海、広州、香港、重慶などの地で25年にわたって外交に従事し、駐重慶日本総領事を最後に2012年に退官した。瀬野氏は、中国の急速な発展を目にすると同時に、中日関係の浮き沈みも経験してきた。第2次大戦終結から70周年となる2015年は、日本と中日関係にとって非常に重要な一年となった。瀬野氏はこれを機に、日本と中日関係の未来の行方について自らの見方を語った。

▽25年の巨大な変化 中国の発展「嬉しい」

 1949年生まれの瀬野氏は、高校時代から中国にすこぶる興味を持っていた。この興味がもとで、学校の図書館である日、戦前の日本の軍隊の中国侵略を記録した図録をめくった。図録の中の白黒写真は瀬野少年にとってはショックだった。そこで日本の軍隊が中国でいったい何をしたのか、中国人は日本人をいかに考えているのかを考え始めた。その時から、瀬野氏は、いつか中国にわたり、この疑問を解き明かそうと決めていた。

 1975年、瀬野氏は日本・外務省に入省し、翌年には国費留学生として中国にわたり、北京語言学院(現在の北京語言大学)や遼寧大学などで中国語を学んだ。この時から、瀬野氏は中国と解けることのない縁を持つこととなり、中国での25年近い外交官生涯を始めた。

 中国での仕事と暮らしの日々は、瀬野氏にとって忘れがたい記憶である。「中国に行くのは小さい頃からの夢だった。1976年に(香港経由で)深セン河をわたって中国大陸に初めて足を踏み入れた時は感動した」。この年は普通の年ではなかった。中国は、唐山大地震という巨大な災難に見まわれ、周恩来と朱徳、毛沢東という3人の国家指導者が相次いでこの世を去った。中国が巨大な変化を迎えた年でもあった。文化大革命の十年の災難はこの年に終わったのである。

 瀬野氏は語る。「自分は中国で四半世紀を過ごした。中国が文化大革命から改革開放、さらには世界第二の経済大国となるまでの巨大な変遷と成果をこの目で見た。自分がこのような経験を持つことができたことを幸運と思う――。中国は私の第二の故郷だ。中国が少しずつ豊かに強くなるのを見て、自分のことのように嬉しい」


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