2014年8月19日  
 

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<北京のお気に入り> 四季折々の姿を見せるドラマチックな庭園 (2)

人民網日本語版 2014年08月18日16:13

普段はどちらかというと人からつっつかれてもなかなか動かないタイプだという梶ヶ谷さん。しかし一旦心に火がつくと周囲の人々を驚かせるほどの行動力を見せる。建築家としてのキャリアの始まりもまさにそうだ。

――当時は、なんで絶対に就職しなければならないのか、と思ってました。就職は結婚と同じだと考えていたんです。結婚って、結婚したい相手が現れたらするものですよね。就職も、しなければならないからではなくて、就職したいと思えるところがあればしようと思っていました。大学院を卒業後も長く欧州旅行に行ったりして、しばらくの間ふらふらしてました。

旅行から戻ってきて、これはさすがにやばいなと思って就職先を探したんですけど、1日行って合わないとか、1カ月行って合わないとか、色々試行錯誤してました。でも、あせる必要はない。まずは興味のあることを探ろうと思い、ネットサーフィンをしている時に、たまたま東京R不動産とRプロジェクトのことを知りました。新しいことを模索していて面白いなと思って調べてみたら、そこからOpen A という設計事務所に行き着きました。その事務所の代表の講演会を聞きに行った翌日には、事務所宛に何でもいいから働かせてくださいとメールしていました。

こうしてスタッフが2人しかいない事務所にアルバイトとして入社。後に正式なスタッフとなって大型リノベーションなどの法人関係や個人住宅などの設計を担当した。約5年近く働いた頃、ステップアップのために会社を辞めることに。海外へ行くか、それとも日本で独立するか、心には2つの選択肢があった。

――海外だったら別の仕事も含めてもう少し幅が広がるのではないかと考えたんです。当時ぎりぎり30歳だったので、ワーキングホリデイを使って海外に行くことを思いつきました。

ヨーロッパかそれともオーストラリアかと考えている時に、日本の有名デザイナーがオーストラリアの建築家に依頼した別荘プロジェクトに携わった日本人建築家のことを知りました。その方のパーティでこのプロジェクトの作品を見る機会があったのですが、それがすごくかっこよかったんです。日本で使っている材料や素材とも全然違っていて、とてもエコ的な発想に基づいた斬新なものでした。

こんな建築どうやって作るんだろう、どこからこんな発想が浮かんでくるんだろうとすごい興味を引かれました。

再び心に火がついた梶ヶ谷さんはその建築家が来日した際に開いた講演会にポートフォリオやレジュメを持って行き、直接自分を売り込んだ。その時は返事をもらえなかったが、ワーキングホリデイを利用してオーストラリアに到着した後も、建築家と連絡を取り合い一緒に働きたい旨を伝えた。

その熱い思いが伝わり、ついに梶ヶ谷さんはオーストラリアを拠点に活動する世界的な建築家ピーター・スタッチベリー氏の設計事務所で働くことになった。

しかし、そこでは思わぬ挫折が待っていた。


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