――1番驚いたのは、クライアントが自分の知り合いの紹介だからというだけで、私の作品も見ないうちに、契約を交わしたことです。中国の信頼社会というのは、すごいものだなと思いました。もしかしたら、中国では日本人建築家は信頼されていて、クオリティが高いものを作るというイメージがあったからかもしれないですが。
日本やオーストラリアと比べると、中国での仕事は良くも悪くも刺激的だという。
――中国では仕事の話はいっぱいあっても、なかなか話がまとまらなかったり、お金にならなかったりします。それでも、北京では規模の大きな仕事や様々な種類の仕事を頼まれることがあるので刺激的です。現在床面積8000平方メートルのホテルをオフィスにリノベーションするという案件を手掛けていますが、やはり日本ではなかなかこういった仕事は受けられないと思います。
将来の夢について梶ヶ谷さんは次のように語った。
――大学時代の同級生のうち現在建築設計の仕事をしている人はわずか5%程しかいないんです。学生時代、不真面目で、友人からも「将来何したいの?」と言われていた私が、今でも建築の設計を続けていることが不思議に思えることもあります。単に楽しそう、面白そうと思える方向に進んでいったら、今ここにいるというだけなのですが。でもせっかくここまで続けてきたので、今後も建築の仕事を続けていきたいです。
建築家としては、クライアントが考えているものを一から形にしていって、満足してもらえることが私の喜びです。有名になりたくないと言えば嘘ですが、地位や名誉よりも、小規模な設計事務所を立ち上げて、求められれば海外に行き、今後も誰かが満足するものを作っていけたらいいですね。
梶ヶ谷さんの心にはクールな表情からは想像できない火山のマグマのような情熱が隠されている。おそらく、その内なる情熱ゆえにドラマチックな頤和園に心引かれたのかもしれない。梶ヶ谷さんが手がけた幼稚園の遊路で、上へ下へと登ったり降りたり、トンネルや穴に潜ったり隠れたりして遊ぶ子供たちの笑顔を想像するだけでワクワクしてくる。この建築もまたきっとドラマチックなものに違いない。