◇
国の内政を司る旧自治省(現総務省)に入省した寺崎さんは、熊本市の副市長を務めた4年を除くと、これまでほぼ1、2年ごとに部門・役職がめまぐるしく変わっている。通常、総務省のキャリアは、地方自治体に出向し、地方公共団体の管理職を務めた後、国に戻って、最終的に国の制度設計に携わっていく。東京の霞ヶ関では制度設計を、地方では現場のプレイヤーとして仕事するというローテーションを繰り返して経験を積んでいくのだ。いわば、外交官の国内版のようなイメージだ。この慣習でいくと、熊本市の副市長を務めた寺崎さんは、その後再び霞ヶ関に戻るはずだった。しかし、内示を受けた移動先は思いも寄らない北京の地だった。
――正直、北京と聞いてびっくりしました。94年にニューヨークには赴任していますから、英語圏であればともかく、中国語なんてやったこともない。できることならお断りしようと思いましたが、しばらくすると、その考えが変わりました。
待てよ、もう海外で暮らすこともないと思っていたところに、ライジングサンのごとき勢いのある中国を自分の目で見ることができる絶好のチャンスであり、日米中という経済大国トップ3で生活体験を持てるというのも自分にとって大きな糧になるんじゃないか、と考え直したんです。その夜、初めての単身赴任となることについて家族の了解を得て、翌朝、行かせてくださいと返事しました。結果的にこの判断はとても正しかったなと思っています。
実際訪れた北京は、かつて赴任したニューヨークに比べると断然暮らしやすい街だったという。
――まず、北京は治安がいいですよね。NYにいる頃は、ジュリアーニ市長になった時だったので、治安も大分良くなってきていましたが、それでも夜にミュージカルを見終わって9時になると、歩いて帰るのは危ないと言われ、明るいところでタクシーをつかまえて帰宅するというのが習慣でした。それに比べると北京では、夜の10時でも、12時でも、皆平気で酔っ払っい、その後も歩いて帰れますからね。もちろん犯罪はありますけど、それは日本でもあるわけで、外国の町でこんなに治安に気を使わなくてもいい場所は珍しいと思います。
また、食べ物も基本的に日本と親和性が高いですよね。日本人は中国料理を食べ慣れていますから。個人的にも中国料理は大好きなので食には困らない。値段的にも上昇しているとは言え、日本に比べるとまだまだ安いです。
問題は言葉だけですね。ただ、通常の業務は日本語なので、タクシーに乗ったり、買い物したりといったサバイバル中国語さえできれば、別に大きな問題ではありません。